miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

詩とことば

白露

王座戦四局で、 永瀬王座が最後、羽織りを纏って敗着を認めたのは見事だった。 下総の鬼女歌人を想いだした。死んでいく日も帯締めて

啼きの訂正

“吹けば飛ぶよな 将棋の駒に賭けた命を 笑わば笑え” で始まる「王将」、その三番の歌詞。 “愚痴も言わずに、女房の小春 つくる笑顔が、いじらしい” 以前、後段をこう、作り替えた。 “つくる笑顔に 桂馬も啼く” 今、次のように訂正したい。 “つくる笑顔に 桂…

ウイッチ ベスト

ボードレール「悪の華」の翻訳 誰のどの翻訳がよいのだろう。 それは、ワシの訳だ。未だ「憎悪の樽」の末尾二行しか訳してないけれど。

詩のこころ、詩人のおもい

閑長の一押しの『悪の華』の一篇「憎悪の樽」が、 抄訳の場合、除外されることが実に多い。 当篇は、1951年の雑誌掲載『冥府』から今に続く古層、古参の一篇である。 詩人鍾愛のこの詩が選外となるのはじつに心外である。

承前 憑依Ⅱ

昨日のつづき、、憎悪の運命に呪われている。 テーブルの下にへたり込み、酔いつぶれることも叶わない。Baudelaire「憎悪の樽」の末尾である。

憑依

文学作品の翻訳で大切なのは役作りと思う。 「悪の華」を約すならボードレールに成りきる。 ついで、「悪の華」の作者たるボード―ルを纏う・・。 そうすることで先ず一人称が固まる。 私、我、僕、俺、等々。 投げ遣り、無頼の「悪の華」なら私か俺だろう。 …

意味の繋がり

ボードレールの「悪の華」は詩の並びにも意味があり、 詩集全体としてメッセージとニュアンスが形成されているという。 ただモノではない! さしずめ、“ 連関詩 ”という一つの文学ジャンルのようである。

季語は世につれ

運動会が秋の季語かどうかは知らないが、 今、「・・・青空の下、運動会」と聞くと初夏を連想してしまう。 そんな話を始めれば、苺は一年中あるし、おでんもおでん酒も秋だって旨い。 決めごとにするのではなく、季語を読み手と聞き手の受け止め方に任せると…

詩人 N

西脇順三郎がノーベル賞の候補に挙がったのは詩人として、だという。 文学研究か文藝評論くらいに思っていたから驚いた。 再読しようかと思ったが、手元に詩集がない。 よくよく考えたら、いまだかって一読した経験も無かった。

稲垣きくの 「忘れねば ならぬ旅きて 野のあざみ」 好きな句である。だがしかし、「旅きて」より「旅でて」の方がいいのでは? 脱日常の目的地のあるTrip感と、逃日常の彷徨うJourny感の違いである。 素人の閑長だが、こう感じる。芭蕉翁に所感を訪ねてみた…

ことばの地方区

「こずむ」ということばを普通に使っていたが、方言らしい。 閑長は経年変化やホコリなどで光を失い、ぼやけていることや、絵筆が走らず迷いがみられるような場合に使っている。 意図が伝えられて便利である。 こんな重宝なことばが全国共通でないのは勿体な…

人の藝

書が佳いか、歌が良いかは難しく、両方いいとしておけば無難なのだが、何方かというと歌は筋張って、書は柔和に傾いてみえる。足し合わせれば、良寛の芸道が完成するのかもしれない。人柄を加えればまさに神域であろうか。

隣り合う詩

難解な詩でも、その解読を詩そのものが教えてくれる。それも別の詩人の別の詩が、である。 平凡社に「世界名詩集大成」という全十八巻の本がある。かの立花隆が「すごい本」と形容する、今後二度と現れない偉業というべき全集である。 その本を読んでいると…

待てば来たれり

美学に関する番組で、詩人の高橋睦郎が「詩を創るということは“ 待つ ”ことだ」と言ってい、「そんなことはとっくにリルケが言っている・・」と思ったが、なんと小林秀雄も自己の評論執筆を「神経を集中して『待つことだ』」と言っていて驚いた。 湧いてくる…

白い秋の風

「石山の 石より白し 秋の風」 芭蕉に言われなくても、秋の風は白く感じられる。 それは印象や趣きばかりではなく、大気中の水蒸気が関係するように思う。 気温の低下や日光の弱まりで、大気中の水分が結晶し、乱反射して、眼には白く感じさせる。 吸い込む…

意味のつながり、ニュアンスの関連

数日前、全体と部分について、「ものに部分はない」と書いたが、敬愛するボードレールの「悪の華」は、詩の並びにも意味が伴って、一篇の詩の解釈に前後、さらにその先の詩編の詩句やテーマが関係するという。 ボードレール自身が詩の並びや選出に心を砕いて…

とポン、、ゆらゆら

芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の『水の』が余計では・・という話は随分前に投稿した。 芭蕉本人に聞かせたら、否みも怒りもしない一方、肯ずることもないと思う。 『水の』の言葉ひとつによって、あがる水滴とゆれる水面がシカと映像化される。

ポエジー

「ふきとばす石も浅間の野分かな」 軽井沢は浅間神社境内の句碑である。本歌とは助詞を一つ変えてある。 助詞の入れ替えで、コンデンスされて濃密になった分、俳味が失われて、散文になっている。 口ずさんで、空を仰ぎみる風情がこの句には欲しい。

抑制の風

新井満という人が「千の風」を訳詞したということは、NHKの「あの人に会いたい」で初めて知った。実は新井満という人のことも初めて知った。 原詩は良いと思う。好きである。訳詞は意訳が過ぎる。違訳とすら思う。さらに頂けないのは歌謡の歌いっぷりである…

不倒、不眠、そして不滅

ボードレール「憎悪の樽」の最終段を長く理解しかねていた。疑心化された憎悪と、酔漢との境遇の違いが胸に落ちないのである。敵わぬ相手としての「酒」や、憎悪の片棒のような「復讐」も、擬人化されて登場する。岩波文庫 鈴木信太郎訳で最終段をみよう。 ―…

主客の立ち位置

「聞こえるメロディは美しい けれども聞こえないメロディはもっと甘美である」 ジョン・キーツ「小さな真実は明晰な言葉をもつが、 大きな真実は大きな沈黙を持っている」 ラビンドラナート・タゴール こころを打つ知恵の言葉である。 けれども閑に任せて付…

自選によるサラ川拾遺

「未発表作に限る」とあって従ったが、エントリー後の取り扱いには特段の制限はなかった。 ボツになったのだから、公にしても支障なかろう。 リモートで 要らないポスト はっきりし 縮小子 リモートは オイ!なし イヤ!なし 視線なし ホッとする意気地なし …

少年と「生死」

俳人永田耕衣の「少年や 六十年後の 春の如し」は好きな一句である。はじめて読んだ時には60年後に回春の若返りをはたす句と思ったが、今は60年経て進歩も老成もない身を自嘲するようにも読める。正しい読み方かどうかは判らないが、六十を超えてようやくた…

ワンさかは美しい

今年一年、100本以上の映画を観たが、映画館で観たのは「孤狼の血Part2」と「007の最新作」の2本だった。殆どの映画はテレビかビデオで観たのである。 映画館以外での映画鑑賞を認めなかったのは池波正太郎である。例外として劇場で一度観た作品を、テレビや…

その玉や 羽黒にかえる 法の月

「開運なんでも鑑定団」の再放送で、芭蕉の真筆書簡が出品され、鑑定額は八百万円だった。 興味を引いたのは金額よりも文面で、掲出句の「其の玉」の筆跡が「無き玉」と紛らわしく、門人からのどちらか、との問合せに芭蕉自身が応える内容だった。 芭蕉の返…

度胸千両、諦念万両

生保会社が募集する「サラリーマン川柳」に応募しようといくつか駄柳(?)をものしたが、これはサラ川ではなく、リタイア川柳かシルバー川柳だと気づいた。けれども変に愛着がわくので、没にする前に書き止めてだけおきたい。 〇 立ち至る 道におののく 達令…

時代とスペル合うと

大昔、外国為替の仕事をしていたころ、アルファベットをそれぞれ別の単語に言い替えることを教えられた。ビーとか、デーとか、似た音の聞き間違いを防止するためである。Aはアメリカ、Bはボストン、Cはカナダ、Dはデンマーク等々といった。こういう言い替え…

負い目と引け目

「ある文章のある文に当てはまる言葉は、たった一つしかない」と、ポール・ヴァレリーと谷崎潤一郎、東西の文豪二人が、語ったか書いていたと記憶する。 「うとうと・うつらうつら」に引き続き、「負い目・引け目」の比較を試みたい。前回に引き続きこちらも…

老いの寝覚め

意味はほとんど同じで、少しだけ用例やニュアンスが異なる言葉は多いが、その選択は適切かつ的確に行いたい、と云うのが閑長の持論である。 そこで、森田善行先生の「基礎日本語辞典」の向こうを張って、似た言葉の違いを掘り下げてみる。 宿酔いの頭が直観…

風に語る

蝉鳴くや つくづく赤い風車 ふるさと信濃の俳人 小林一茶の句。“つくづく”が効いている。 赤は信濃的な色である。赤は土の色であり、むき出しの土地の色だから。山に囲まれ、川に恵まれた長野県は、崖や河岸が随所にみられる。そこはむき出しの土地に出会う…