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閑長のひとり言

閑長のひとり言

写のみち様々

 写実絵画を特集した番組で野田弘志が、「今、写実画を描けというのは、貧乏になれというようなもの」と語っていて驚いた。悪写実、過細密、ワル達者・・、様々あろうが、写実であるが故に到達できないという事はありえない。フォーブもシュールもみんな好きな独善・毒舌の閑長は、同じように写実も好きである。息をのむ、嘆息する写実絵画を観ていたい。

好きな世界文学ベスト5

中高生のようなタイトルだけれど、当の本も“推薦”文学に近い。

  ゲーテファウスト
  カフカ「審判」
  メルヴィル「白鯨」
  ブロンテ「嵐が丘
  ミッチェル「風と共に去りぬ
 
  番外編 「ペドロパラモ」

  読んで惹かれた順である。
  「ファウスト」「白鯨」「嵐が丘」「風と共に去りぬ」が、
  「戦記」的、猛進的、
  「審判」「ペドロパラモ」は
  「能楽」的、黙思的か。
   独文から始まって英米文学に移行しているのが、自分でも不思議である。

あり在りとあり、只ただ生きる

 シャルダンの描く静物画を評して放送大学青山昌文先生は「背後にある生活までも判る」としている。
 私のようなものが不遜ではあるが、同感である。けれどもあくまで観者の目線、つまり解釈と思う。シャルダンは、満ちみちてある存在をただ描いてる。
 
 金閣寺焼失を採り上げた特集番組で、僧侶で作家の玄侑宗久がインタビューに応え、「近頃は生きる意味を探し、生き甲斐をでっちあげている」「生まれてきたから生きるのだ」と言っていたが大いに感心した。

 在るからあり、生きているから生きる、というのは傍から見ると実にうつくしい。実践はじつに難しい。

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新訳は3/4から・・

「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」が旧新訳聖書の最初に記載されているのはマタイ伝の4章である。つまり新訳の冒頭部分である。
 いきなりこう書きだしたのは、再放送されている朝ドラ「マー姉ちゃん」で 藤田弓子演ずる狂信的ともいえるクリ
スチャンの磯野はるが、この一文を引き合いに食べ物を云々する娘たちを諫める場面があるのである。
 セリフは「丁度このページに書いてあるわ・・」。エェ? そこには書いてないよォ・・
映像を見ればわかる。開いたページはおそらく、ダニエル書かエゼキエル書と思う。新訳部分ではありえない。閑長が気付く位だから、信仰の人は直ぐにわかると思う。細部が正確を欠くとズッコケてしまう。

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きんつば浪士

 信州飯田に数年住んだ経験でいうと、花火とお菓子は飯田の名物である。
 夏の夜空は、花火が盛大に彩る。
 当地のきんつばは、金鍔を模して丸形をしている。
 少し前にテレビ番組で「和菓子」を流してい、食べ比べの記憶が蘇った。

いとうやさん 金鍔 皮薄い 色黒い  小豆小さい 味甘め  味覚モノクローム 
和泉庄さん  金鍔 皮厚め  色茶色い 小豆大き目 甘め仄か 味覚ハーモニー 

  どちらが贔屓というわけではなく、いつも両方食べて個性を楽しんでいる。

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幻想の日本美術館巡り

西洋美術館に続けて国内美術館の場合。

 一日だったら、大原美術館
 一週間だったら、足立美術館
 一か月だったら、大川美術館と梅野記念絵画館と宮城県立美術館。途中ホキ美術館を経由。
 
 国内の所要旅行時間を含めた時間。大原美術館と梅野記念絵画館以外は耳学問
 宮城県立は洲之内コレクションがお目当てだから、結局個人コレクションを巡ることになってしまう。

この役、この役者ありて・・

 昨日に引き続き「荒野の七人」である。
 ジェームズ・コバーン演ずるブリットは原作「七人の侍」の久蔵に最も近い役柄という。メイクキングビデオでは、この役に「抜擢」されて喜ぶ映像が収録されているが、コバーンの存在は本作において、当り役以上に嵌り役である。無頼の群れにあって、虚無的な求道性を加味し、重きを成している。ルパン三世でいえば五右衛門である。作品に幅が産まれている。
  
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