miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

デトロイト

 ボクシングの構えには名前がある。ボクシング・ファンなのに最近になって知った。
 スタンダード・ガードはオーソドックスな構え。
 ピーカーブー・スタイルは赤ん坊をあやす恰好。
 フロイド・パターソンの構えが典型的。
 閑長の好みはデトロイト・スタイル。
 左手をだらりと下げた、ヤサグレた構え。
 トマス・ハーンズや坂本博之がよくやっていた。

 デトロイトアメリカ北西部の車の街。
 かつては大いに繁栄を謳歌し、今は斜陽。
 天空に聳え立つGMの本社が感慨を誘う。
 デトロイト・スタイルは、語感に加え、現在の都市の姿が構えのイメージと重なって、益々魅力的に思えてしまう。

 

共通であり固有でもある・・

 キリスト教の原罪 ( Original Sinn ) は、信者に謙虚で神妙な心理をもたらす源泉に思える。
 文明社会のコモン・センス ( Commom Sence ) は、天然自然に行動の則を示す見えざる縛りである。

 へそ曲がりの閑長はコモン・フィア― ( Common Fear ) の存在を指摘したい。
誰もが思い当たる不安や負い目、憂い・・。それらが神経内科メンタルヘルス、占いや信心のネタではないか。

 誰にも共通であるのに、自分に固有であると思いこませる文化的装置が存在し、有形無形に機能している。

芸の風、笑いの寸法

 お笑い嫌い、お笑い芸人嫌いの閑長だが、ダチョウ倶楽部のメンバーでお笑いの上島竜兵は実に面白かった。古今途絶の芸風と思った。
その自死にトリオの一人肥後克広が「何をやっても笑いを取る天才芸人上島が最後に誰も1ミリも笑えない、しくじりをしました。でも、それが上島の芸風です。皆で突っ込んで下さい」とコメンしていた。
 これほど見事な弔辞は聞いたことがない。弔辞である・ナシは関係なく、竜兵 冥すべき一言に思えた。

順序とイメージ

 マーク・トゥエインの「王子と乞食」(The Prince and The Pauper)はアメリカの作家マーク・トウェイン1881年に発表した児童書である。
 日本では、明治32年に巖谷小波らにより『乞食王子』の題で翻訳されたためか、演目によって今でも「乞食と王子」とされている。正確性では無論、「王子と乞食」だが、関心をキャッチする力としては。下剋上をイメージさせる「乞食と王子」の方が訴求力が強いと思う。

 蛇足であるが、「おうじとこじき」と入力すると「往時と古事記」と変換されて、何か別のイメージが浮かんで来、それはそれで面白かった。
 
 
 

 

 
  
 

時代の風

 なにげなく映画「小さな恋のメロディー」を観ていて、後半の教師たちとのドタバタ劇の辺で、1970年代の学生運動ベトナム反戦運動を想起した。当映画は1971年の制作である。70年代は反体制や弱者による抵抗が、ドラマにもテーマにもなり得た時代である。その影響がローティーンの恋愛モノにも及んでいる現場を、五十年もの時間を経て、目撃する思いだった。

 

ズレている証左

 国の借金が20年で倍になっても平気な元総理大臣がいる。「国と家計は異なる」論は、一見すると正しいように思われるが、借金の膨張が止まらないのは、国債まで使って財政を発動しても、それに見合った税収が伸びないためである。短期的にはともかく、何十年も長期にわたって債務拡大が続くのは、費用対効果でお金の使い方が適当ではない証拠といえる。
 政治家さんには長期的な俯瞰力が必須である。長きに亘ってお金を使っても民間活力がそれに見合って向上しないのなら、資産そのものが時代とズレているのではないか・・と自問自答してほしい。

   そのお金、遣わない方が ベターでは
   失政や 金は出ていく 実入りは増えず
   金使い 人気を取るのは 誰のため