miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

項羽ありて劉邦あり、フレイジャーなくしてはアリもなし

 劉邦にとっての項羽は分身以上の存在である。漢王朝項羽と劉邦の比較優位の所産といえる。
二人が同時代に存在したことは漢字文明にとって“ 天祐 ”である。

 モハメド・アリは不世出のボクサーだか、スモーキン・ジョー・フレイジャーも二度と現れまい。
二人が同時代に存在したことはボクシング・ファンにとって“ 天恵 ”である。
 
 天祐も天恵も、" 天 " という天助に支えられたことが興味深い。

「ファスト」と「端折り」

 過去の特集版組が再放送される際に一時間が45分、45分が30分に短縮されるケースがある。決まって味のある、コクとなる、機微に亘ところが削られ、カットされる。骨でストーリーは分かってもニュアンスを欠いた番組には失望させられる。
 似て非なるものが「ファスト映画」である。一筆書き的に、シルエットだけ伝える「ファスト」映画は、全編をしっかりと観る、観ないを判断するリトマス紙であり、「端折り」とはスタンスが異なる。
 要は、" 肝 " をどう扱うかという略し方の問題なのだが、取り違えると逆効果になる。

誤謬

 徒然草枕草子、そして方丈記を日本の三大随筆というらしい。高一で徒然草を習い、二年で枕草子、その後土佐日記や鏡物と一緒に方丈記を知ったから、三作品の成立順も履修順だとばかり思っていた。放送大学を視聴し、平安時代枕草子がなり、鎌倉の前期・後期で、方丈記徒然草が書かれたと知って勉強になった。そういえば清少納言は平安宮廷の日常を記し、兼好法師鴨長明の作には戦乱の生臭さが漂っている。

 数学の集合論は中一の最初の頃に履修した。集合論の成立も早いと思っていたら、うんと後だった。

 こうしてみると、履修順序が成立・発生順なのは「社会」のうち「歴史」だけなのかも知れない(閑長の時代、「歴史」の授業はエジプト、インダス文明から始まった)。
 履修順がそのまま成立順なのは、主要五教科の一割未満の少なさなのだから、「履修即成立の誤謬」と呼べるのかもしれない。

誤謬

 徒然草枕草子、そして方丈記を日本の三大随筆というらしい。高一で徒然草を習い、二年で枕草子、その後土佐日記や鏡物と一緒に方丈記を知ったから、三作品の成立順も履修順だとばかり思っていた。放送大学を視聴し、平安時代枕草子がなり、鎌倉の前期・後期で、方丈記徒然草が書かれたと知って勉強になった。そういえば清少納言は平安宮廷の日常を記し、兼好法師鴨長明の作には戦乱の生臭さが漂っている。

 数学の集合論は中一の最初の頃に履修した。集合論の成立も早いと思っていたら、うんと後だった。

 こうしてみると、履修順序が成立・発生順なのは「社会」のうち「歴史」だけなのかも知れない(閑長の時代、「歴史」の授業はエジプト、インダス文明から始まった)。

 履修順がそのまま成立順なのは、主要五教科の一割未満の少なさなのだから、「履修即成立の誤謬」と呼べるのかもしれない。

カルトかサイエンスか

 超能力は信じないが、素粒子物理学の発展によって、その一部が解明されるのではないか。これは以前に書いた。
 占いは信じないが、これも統計学と心理学によって「当たる」ということの説明がつくように思う。

 しかしだからと言って“ カルト”の領域がなくなるとは思えない。更ピュアに、時に淫靡となって、「カルト」の世界は続くと思う。カルトは日陰、もの陰げ、裏道をこそ棲みかとするのだから。

ぱさぱさが、カチコチに・・

 枯れ木を切っていて、その硬さに驚いた。まるでレンガか石である。
 水分の欠乏がここまで物質を硬化させるとなると、加齢で皺がふえ、体が硬くなることも理解できる気になった。

  ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて

  「自分の感受性くらい」 茨城のり子
  

道の意思

 「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」
 魯迅の『故郷』の最後の一文である。

 閑長は常日頃、道には意思があると感じている。結局それは、素の道を歩く人に共通の意思である。
 閑長が幼稚園、小学校、中学校と通った通学路には意思が漲っていた。遊郭道路と呼ばれ、隣村から遊郭に向かって迷いな く一直線向かっていた。
 
 そういう目で見渡すと道は皆、意思に満ち満ちているみえる。