miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

文学

徒然草の法解釈

放送大学で批評文学としての「徒然草」が講じられていた。採り上げられたのは93段の「牛を売る者あり」だった。 牛を買おうとした人がいた、明日代金を払って引き取る、と約束した。その晩、牛が死んだ。牛を買おうとした人は難を逃れ、牛を売ろうとした人は…

たんほぽの産毛

川端文学のエロティシズムの極致は「眠れる美女」でも「千羽鶴」でもなく、絶筆の「たんぽぽ」と思っている。「踊り子」といえば度肝モノかもしれぬが、閑長は「たんぽぽ」のこころ根のエロスに、並ぶ作はないと感じている。 「たんぽぽ」の後段に、代名詞的…

智の弁え

水滸伝の英雄、武松の他にもう一人挙げよ、となったら花和尚魯智深だろう。 その錫杖の重さが、百斤だったり、八十二斤だったり、六十二斤だったり、記載がまちまちで、それも魅力である。最終節、今際に臨んで「円寂」の意味を解さず、坊主に教わって従容と…

隻手のかしわ手

やはり水滸伝英雄ランキングの筆頭は、登場順ではなく、異様性と仕舞際だった。閑長は行者武松を推したい。素手で猛虎を撲殺したからではなく、方臘討伐でその腕を片方失い、戦友林冲を片腕で介護しつつ、寺男として長寿を全うした生き様に、水滸伝には稀な…

糞でも喰らうか・・

ガルシア・マルケスの中篇「大佐に手紙は来ない」をフト思い出して読み返して、面白かった。 「確実にくるのは死だけ」という一文を、わが身と引き比べて味わった。 最後、老大佐のこころが全く揺るがないところが、気に入った。 自分も、頑迷に揺るがぬまま…

いっぺんのできごと

松本清張の作品を読んでいて、「大東亜戦争」の大きさを思った。状況をガラガラ・ポンする装置として戦争の役割は大きい。状況を一変させて新たなステージに導く舞台として、作家にとって先の大戦は、実に重宝だった。 平成・令和と時代は進み、ガラガラ・ポ…

結晶と文章

夏目漱石はベルグソンの文章を“ 水晶のように明晰 ”と賛美している。 レイモンド・ラディゲの文章は“ダイヤモンドのように硬質 ”と形容されている。評したのはラディゲ贔屓の三島由紀夫だったろうか。 小林秀雄は自分の文章の書き方として、「最初にある角度…

流れの涯

方丈記は書き出しが有名だが、終りが良い。 迷いと諦念が記されている最終段があるから、方丈記は余韻をもって完結する。 その時、心さらに答ふることなし ただ、傍らに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ

開高のランプ

名言集のある作家に開高健がいる。中でも閑長のお気に入りは、「危機と遊び、おとこが熱中できるのはこの二つ。危機と遊びが男を男にする」というもの。グラス片手に話す開高の眼は血走っていた。 近頃、開高の「ランプが消えぬ間に生を楽しめ」という言に出…

小さな、永遠の死

Alle Tode Alle Tode bin ich schon gestorben, Alle Tode will ich wieder sterben,私はすでにありとあらゆる死を死んだ。 これからもまた一切の死を死ぬだろう。ヘルマン・ヘッセの詩「あらゆる死」の冒頭部分である。 閑長の好きな詩で、ときおり、心の中…

鬼才の寄りどころ

没後50年で、三島由紀夫が再注目されている。三島は自身の小説のメチエ、マテリアルを人生や思想などではなく、あくまで言葉であるとしている。氏の婉麗・壮美な修辞は、言葉をよすがとしているのである。閑長も二十代の頃、三島の小説を数行読むだけで陶然…

名人の次手

川端康成は自作のなかで「名人」が一番気に入っていたという。「名人」は「不敗の名人」が敗れる姿を、観戦記者からの目で書いた囲碁小説で、川端がかねて描いてきた「雪国」や「古都」からみると異質の世界である。男の勝負の世界をえがき、筋がしっかりと…

翻訳の餓え

好きな外国の著作は邦訳の全部集めたくなる。そんな本が何冊もある。今、思い出すだけでも、ゲーテ「ファウスト」、カフカ「審判」、メルヴィル「白鯨」、ブロンテ「嵐が丘」、ドストエフスキー「罪と罰」、ベルグソン「時間と自由」等々。 集め易いのはマイ…

強妻にオーパ

開高健の「オ―パ」「オン・フィッシュ」が滅法面白い。 文が話しかける、というより、が鳴りたてる。ウイスキーをブッくらって、大ナマズを釣り上げてハンマーでドヤし、塩焼きにしてビールで流し込む、とは憧れのアウトドアライフである。世界各地を釣魚行…

毒消しビイル

小沼丹を読み返した。一時田村書店の主人が「小沼丹も知らない奴は店に来るな」と弩やかして、知られるところとなった文学者である。読むと井伏鱒二、日夏耿之介、谷崎精二ら、早稲田文学の面々が出てくる。 一冊読むか読まぬかする内に小沼の語りに浸ってい…

アウトプットのDNA

大谷崎こと谷崎潤一郎は、自身の分身饒太郎を主人公とする短篇で、思想書でも小説でも最初の数ページを読むだけで中身がわかってしまうと書いている。100%本当ではないとしてももちろん虚構ではなく、事実潤一郎はそういう体験をしたのであろう。 西田幾多…

一行の必然性

バーで飲んでいた開高健と川端康成が、「芥川賞なんて一行にやっていい」と語り合ったという。開高健は間違いないが、川端はもしかすると記憶違いかも知れない。多分間違いない。重なりはしないが両作家、選考委員を歴任している。川端は下戸だが、酒席は断…

「惚れたが、悪いか」

掲題を作品最後のセリフに使った同じ作家が「生まれて、すみません」とも書いている。「惚れたが悪いか」は、太宰治『お伽草紙』所載「カチカチ山」のタヌキの最期のことばである。 昔話を翻案し、処女の冷酷さをもつ美少女をウサギに仕立て、愚鈍で哀れな中…

閑長の苦笑い

カフカは自作「審判」を友人たちのために朗読し、礼儀正しく自己弁護するヨーゼフ・Kを友人たちと共に笑いの的にしたという。ヨーゼフ・Kはカフカの分身なのだろう。その彼を笑い飛ばすことで作品が完成した。主人公ヨーゼフ・Kを相対化し、自己言及の呪…

閑長の秘蔵の段

一昨日のブログで、徒然草を高一で習ったと書いたが、久々取り出した三省堂のテキストが抄録であることに気付いて驚いた。例えば八十八段「小野道風の和漢朗詠集」は未採録なのである。お気に入りのこの段、岩波文庫を基にあらすじを自己流に記してみたい。 …

主張する登場人物

菊地寛だったと記憶するが、作中の人物が作家の言うことを聞かずに自由勝手に振舞って困った・・とどこかに書いていた。菊地はたしか、作中の男女を結びあわせたかったのだが、どうもうまくいかない。自分のペンひとつでなんとでもなりそうなのに、ゴールイ…

閑長の対象と方法

「対象はある 方法はない」 カフカの「城」の一言コピーである。10年くらい前、確か新潮文庫の帯で見かけた。城に雇われたにもかかわらず、城に通じる道がわからず麓の村に留まらざるを得ない測量師の境遇に相応しいキャッチである。本はすでに持っていたか…