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閑長のひとり言

閑長のひとり言

鬼才の寄りどころ

 没後50年で、三島由紀夫が再注目されている。三島は自身の小説のメチエ、マテリアルを人生や思想などではなく、あくまで言葉であるとしている。氏の婉麗・壮美な修辞は、言葉をよすがとしているのである。閑長も二十代の頃、三島の小説を数行読むだけで陶然となり、読み進められずに本を置いて嘆息することがよくあった。

 小説や随筆の一文で、そこに当てはまる言葉は一つしかないという。谷崎潤一郎のことばである。たしか同じことをポール・ヴァレリーも言っている。
 三島の小説は、言葉が当てはまるかどうかではない。言葉が連絡を取って集結して、それによって意味が組み立てられる構造にみえる。思念が表現を吟味するのではなく、表現が選り抜かれてメッセージ性をもっている。マテリアルの独立宣言である。在るのは森ではなくて、花のようである。
 
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