閑長の苦笑い
カフカは自作「審判」を友人たちのために朗読し、礼儀正しく自己弁護するヨーゼフ・Kを友人たちと共に笑いの的にしたという。ヨーゼフ・Kはカフカの分身なのだろう。その彼を笑い飛ばすことで作品が完成した。主人公ヨーゼフ・Kを相対化し、自己言及の呪縛から逃れた。
本人には深刻でも傍からみると「笑い」になること、それが悲劇の要素であり、ドラマツルギーの一つとなる。こちらは「小説の技法」におけるミラン・クンビラの論である。成るほど心当たりがある。
ベルグソンの「笑い」という著作は、生理現象に止まらない文化的行為としての「笑い」について、哲学的な知見を記している。こちらはあまりに難解で、とても笑いながらは読めない。
笑いも掘り下げると笑えないほどに深い。
小澤春樹「微笑の記憶」