miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

文化考

金銀銅

オモロイことを可笑しく語ってはイケナイ・・ 業界のみならず、巷間云われることば、金言と思う。 閑長は付け加えたい。 笑いを繰り返してはイケない 笑いを確かめてはいけない 銅言くらいにしてよいのではないか。 繰り返すオワライ、確かめる芸人が、昨今…

非対称の魅力

非対称が好きである。 非対称の道具が好きである。 例えばスパナ 非対称の植物が好きである。 例えば秋海棠 非対称の菓子が好きである。 例えば片流しの創作菓子。それにタイ焼きも。 非対称の建物が好きである。 例えば早大大隈講堂 非対称の帯結びが好きで…

「焼く・煮る」文化と「皿・椀」料理

レヴィ・ストロースは“焼く”と“煮る”という調理法を、男性的な「焼く」に対して、「煮る」は女性的として対極に置いている。“焼く”の浪費的傾向と“煮る”の節約的傾向も指摘している。「料理の三角形」という、タイトルからして実にレヴィ・ストロース的な著…

ファストかフィストか

ファスト映画の制作者が著作権法違反で有罪判決を受けたが、「ファスト」自体は令和・21世紀の方向だと思う。著作権者自身がファスト版を作って提供すれば良いではないか。盗用ではなく、強制でもなく視聴者がオリジナルとファストを選択できるシステムの事…

時代に乗って・・

閑長はウルトラマン世代で、仮面ライダーはすれ違った程度で、ライダーなら「ワイルドセブン」の年代に近い。さて、仮面ライダーの歴史がテレビ放送されていて、同史は結局、仮想敵と仮想正義、そして自己の内的イメージを創り出し、格闘する歴史だったと感…

酒と刀と

「笹の露」の愛称のある日本酒と、「秋水」の美称をもつ日本刀とは妙に通じ合っている。戦国の刀に「笹の露」の異名をもつ利刀がある。触れれば命が落ちる。 美濃に雑味を除き尽くして水のごとき酒「三千盛」がある。越後には「上善如水」という酒がある。山…

模擬儀式

季節外れの話題で恐縮だけれど、ひな祭りは結婚式のミニチュア、代替リハーサルと思っている。この見立ては父の受け売りである。父は初孫のひな祭りにそう語り、「本当の結婚式までは命がもたないものだから、昔の人が作ったんだろう」と続けた。 その父が没…

同銘よしあし

昔どこかで、刀と脇差は、同銘作を合さないもの・・と聞いた記憶がある。正宗なら吉光とペアにし、正宗と正宗の大小の取り合わせにしない、という意味である。いま、投稿するにあたってネットで調べたが、理由はおろか同旨の記事が見当たらなかった。あれは…

お盆が来れば

古代ペルシャのレリーフにライオンが牛に乗り掛かり噛みつく作品があって、夏が冬を淘汰する様子を描いていると解釈されている。 閑長はお盆の起源を思うにつけ、夏から秋への移り変わりの覚悟と準備を促す節句と思っている。時の潮目を示唆して、厳しい季節…

〇〇的生物

ホモ・サピエンスとは宗教的生物と思う。ハラリ氏の著書にはそう書いてあっただろうか。同氏は賛同するだろうか。批判するだろうか。 文明の最高の所産は高度宗教という。これはトインビーの所説である。ホモ・サピエンスは必然的に文明化し、その過程で不可…

承前

NHK「100分で名著」に肖ったボーボォワール「老い」論、「老人と性」についての管見である。 「老人と性」に関して貝原益軒は「人、年二十の者は四日に一度もらす、三十の者は八日に、四十の者は十六日に、五十の者は二十日に一度それぞれもらす」とした…

伝わる情趣、背負った定め

力士の四股名はどこかコメの香りがする、といった人がいた。一文字や難読の四股名がこんなに増える前の、昭和の話である。土の匂い、地酒の香りと言い換えてもいいと思う。 ジェームズ・ボンド007の映画は、どれも異国情緒が感じられた。旅情があった。主役…

二階・入り子構造 

「不思議の国の信州人」という本が七つの信州人のタイプを挙げている。仰る通り信州人は地域ごとに結構異なり、人括りにできない幅を持っている。土地が南北に長く、山、谷、峠、川などで仕切られるという物理的な環境があること、それと、古くからの伝統、…

未知のみづうみ

川端康成「みづうみ」は、教え子との不倫で退職になった元教員銀平の話である。銀平は美しい女の後を追跡する癖がある。みずうみのような少女の瞳の目のなかで泳ぎたい、という銀平の歪んだ願望がタイトルになっている。 瞳と言えば、映画「カサブランカ」の…

特殊部隊と芸術承継

ゴーン被告の国外逃亡を幇助した元グリーンべレー隊員父子の身柄が拘束され、「グリーンベレー」や「特殊部隊」が取り沙汰されている。 戦争が国家目的の遂行を目的としているとすれば、特殊部隊は作戦目的の遂行に特化した部隊なのだろう。 仄聞するところ…

流転の末

本は、新刊として産まれ、古書として育ち、さらにその後、一部は資料、古典籍となり、残りは再生資源となる。その間、本の記載内容の一部は、文字から記憶や印象へと昇華する。 書痴的記述である。 人は、子として生を受け、多くは夫、妻となり、父母となっ…

危機が遊びに

開高健は男が夢中になれるものは危機と遊び、この二つと言っている。わざわざ “言っている” としたのには訳があって、NHK番組「あの人に会いたい」で語っているが、印刷物では未見である。噂では、茅ケ崎開高邸後の「開高健記念館」にはこの名文句が貼り…

外の眼、死人の役

以前テレビでお能を観ていて、死人が現れる場面があり、ラテンアメリカ文学を思い出した。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」でもルルフォの「ペドロパルモ」でも死人が生きている人のように描かれ、キーとなる役を演じている。 死人の出るお能は「井筒」だ…

ソロとアイコンの時代

勤めを止して靴が変わった。皮のビジネスシューズが、スニーカーと運動靴になった。靴が変わるとズボンが変わり、ベルト、インナー、アウター、そして帽子に及んだ。靴に服があわないと様にならない。こういうのを下部構造が上部構造を規定する、とマルクス…

大晦日に思う

以前、「七つの信州人」という本が出版された。信州人は地域ごとに異る気質を持ち、人括りにできない幅を持っている。土地が南北に長く、山、谷、峠、川などで仕切られるという物理的な環境の所産だろうか。 閑長は、信州文化に限らず、地方文化は多重構造を…