実砲と銃口と
ネットで将棋の渡辺-藤井の王将戦第一戦の41手目が話題となっている。藤井挑戦者の▲8六歩があまりに意外で、渡辺王将が91分も長考したというのである。ネットには続けて、もし若手がこの手を指したなら、直ちに破門になりかねない悪手、とプロ棋士がコメントしていた。
いまの今、第一戦の二日目が展開されており、▲8六歩の成否も評価も現時点では不明である。もちろん勝負の行方も判らない。しかし誰もが首をかしげる意外な一手が、相手がある勝負事でもし勝敗を決するなら、盤上は完全に挑戦者の掌中にあったと言えるかもしれない。少なくとも、タイトル保持者を一手で一時間半も長考させる存在になっているということは確かで、藤井四冠は、実力に加え威圧まで備えた棋士になっているといえるだろう。
滅びないもの
英国のセントアンドリュースの名はゴルフ場と大学で聞き知っていたが、ヨーロッパの教会を紹介するBS番組で、今は廃墟となっているセントアンドリュース聖堂の映像が流れ、閑長のような心なき身にも荘厳さが知られた。
セントアンドリュース聖堂はかつてカトリックの中心地だったが、ヘンリー8世からエリザベス1世に続く宗教改革によって略奪、破壊されたという。屹立する孤高の塔は、ごく自然に超越的な存在を思わせた。
自然に湧き上がる心が宗教であるという、ごく当たり前のことが身に沁みてわかった。
中国信奉を一旦置いて
邪馬台国探しの源流は、いうまでもなく三国志 魏志倭人伝であって、更に遡れば“中国信奉”と思う。
司馬遷「史記」には及ばないが、カノ中国の古代書物に俺っちのことが書いてある、ナニナニ、邪馬台国、卑弥呼・・? それは何処だ、誰だ?・・が取っ掛かりと思う。
21世紀、令和の今日、魏志倭人伝は一旦措こう。
三世紀の日本をサラ目で眺め、虚心坦懐にその豊穣と多様性を探り、確認し、太古の日本の様子を知ろう。
こういう動機の方が、予見と先入観と邪念に妨げられずに良い歴史研究が出来ようというものだろう。
その過程で巨大遺跡や墳墓が発見され、偶々それが邪馬台国、卑弥呼に措定されるなら、急がば回れ、というものだ。
もちろん、邪馬台国論議のワクワク感、ゾクゾク感を否定するものではないだけれど・・。