中国信奉を一旦置いて
邪馬台国探しの源流は、いうまでもなく三国志 魏志倭人伝であって、更に遡れば“中国信奉”と思う。
司馬遷「史記」には及ばないが、カノ中国の古代書物に俺っちのことが書いてある、ナニナニ、邪馬台国、卑弥呼・・? それは何処だ、誰だ?・・が取っ掛かりと思う。
21世紀、令和の今日、魏志倭人伝は一旦措こう。
三世紀の日本をサラ目で眺め、虚心坦懐にその豊穣と多様性を探り、確認し、太古の日本の様子を知ろう。
こういう動機の方が、予見と先入観と邪念に妨げられずに良い歴史研究が出来ようというものだろう。
その過程で巨大遺跡や墳墓が発見され、偶々それが邪馬台国、卑弥呼に措定されるなら、急がば回れ、というものだ。
もちろん、邪馬台国論議のワクワク感、ゾクゾク感を否定するものではないだけれど・・。