miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

信仰

いま三つ、

KOMA: RIP KITA : BYE KEN : GTH まだ、あと四つある。

ネコ型、サル型、尼僧型

BSでオードリーヘップバーンの「尼僧物語」を観て、これは疎かにできない一編と思った。 世界文学の名作か宗教思想書に比肩する内容に思えた。 正宗白鳥はこの映画を観たのだろうか。 北森嘉蔵がこの作品を知っていたのだろうか。 とまれ、心して再視聴する…

開祖と教祖、そしてバイブル

田川建三の新約聖書の「訳と注」が滅法面白い。 古代ローマのキリスト教の布教史と近代日本の宣教戦略を目の当たりにする思いがする。 妄想のアンケートを想像してみたい。 ミスター・イエスに「どれが真実か」と問うたら、 「みんな違うが、どんどん“ 違い …

滅びないもの

英国のセントアンドリュースの名はゴルフ場と大学で聞き知っていたが、ヨーロッパの教会を紹介するBS番組で、今は廃墟となっているセントアンドリュース聖堂の映像が流れ、閑長のような心なき身にも荘厳さが知られた。 セントアンドリュース聖堂はかつてカト…

献ずる相手

昨日、今日と法事が続いて献杯の機会があった。乾杯と言っても同じかろうが、献と拝した方が贖罪観がある。ともかく杯を交わして故人を偲ぶひと時だった。 ハリウッド映画の「誰がために鐘は鳴る」はイギリスの形而上詩人ジョン・ダンの詩に由来する。鐘とは…

新訳は3/4から・・

「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言に由る」が旧新訳聖書の最初に記載されているのはマタイ伝の4章である。つまり新訳の冒頭部分である。 いきなりこう書きだしたのは、再放送されている朝ドラ「マー姉ちゃん」で 藤田弓子演ず…

太初にこれだけ・・

大江健三郎が読む聖書は、明治元訳から新共同訳、岩波訳まで様々という。「作家自身を語る」ではそれぞれ良訳のようなコメントで、贔屓の訳はわからない。通読したことはなく、信者でもない者が口を出すのは烏滸がましいが、閑長は大正改訳の文語訳と、1954…

統合福音書

共観福音書を読むたび、なぜ三書を合体・編集しなかったのか不思議に思う。数の最大公倍数を求めるように、共通するエピソードは詳細なものを採用し、固有・独立のものは単体で選抜すればマスターピースが編めたと思う。教会確立以前の信仰共同体の名残がし…

イエスか肺か

二十年ほど前、「イエスという男」という本を読んでイエスの像が結ばれた気がした。近頃、「失われた聖書 Q文書」を読んで、イエス像が更にクッキリした。 使徒や信者にとって、イエスの教えを信じることは「快」以外の何物でもなかったと思う。ルイ・ルナン…

魂の往く道

岸田劉生はクリスチャンとして知られる。劉生日記には、“神よ助け給え”、“神よ感謝いたします”などの言葉が並ぶ。最近、劉生が読んでいた聖書の版本を繙いて、ヨハネの福音書の冒頭、「ことば」に「道」という字が当てられているのを見つけた。劉生が目に停…