笑いに型なし
「悲劇の最大要素は必然性・・」とは、確か福永武彦の言葉だったと記憶する。隕石の衝突で北半球の全人口が死亡したら大惨劇だが、隕石到来は偶然の出来事で必然性がなく、ドラマとしての悲劇性はない。
その伝で云って、任侠物の最大要素は「義理」、ヤクザ物は「理不尽」、ラブロマンスは「別離」と思う。
さてタイトルの「笑い」でいうと、以前「新世紀味に令和風味・・」として、そのパターンを「とぼけ」「ぼけ」「つっこみ」「おとし」「間」それに「あわて」として投稿した。軽く六要素もある。要するに笑いのすそ野は広く、最大要素を絞り込むのは難しい。パターンに乗って笑わすことができない。「観客を泣かせるのは簡単だか、笑わせるのは難しい・・」ある舞台のベテランの言葉が思い出される。
あり在りとあり、只ただ生きる
シャルダンの描く静物画を評して放送大学青山昌文先生は「背後にある生活までも判る」としている。
閑長のなものが不遜であるが、同感である。
しかしあくまで観者の目線であって、シャルダンの作画意図の忖度としては行き過ぎと思う。
シャルダンは、満ちみちてある存在をただ描いたのだと思う。
金閣寺焼失を採り上げたNHKの番組で、僧侶で作家の玄侑宗久がインタビューに応え、
「近頃は生きる意味を探し、生き甲斐をでっちあげている」と言ったが感心した。生まれてきたから、生きるの
だ、とも言っていて、これにも共感した。とてもできそうにないのだが。
在るからあり、生きているから生きる、というのは傍から見ると実にうつくしい。
続・オーヘンリー短編集またはオーヘンリー後日談集
オーヘンリーの短篇は、“続き”を想像させる。
「賢者の贈り物」
数年して関係が冷えた二人が別れ、時計を送ってくれる女性とショートカット好みの男性を探し求める。
⇒ない物ねだりはない物探し・・
「赤い酋長の身代金」
成長した「赤い酋長」が強盗団に再会し、“厄介払い”の報酬を求める強請り方を伝授する。
⇒弱をみせずに弱みを突け!
「よみがえった改心」
自信が蘇った金庫破りが緊急時の金庫開錠屋を開業するが、行き詰まって金庫破りに戻り、捕らわれる。
⇒人生、所詮回り道。
「魔女のパン」
後になって女の気持ちを理解した設計士が、謝罪と感謝に再びパン屋を訪れると、女は以前に増して思い込みの世界にのめり込んでしまう。
⇒もと来た道は、又往く途
「自動車を待つ間」
十数年が経過して、本当の身分が逆転した二人が再会、十数年前のお互いの嘘を暴き合う。
⇒ネタバレに要した歳月。
結局、オーヘンリー作品が滋味に満ち、余韻を残すということだろうか。