miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

マツモトジュンというイコン

 松本潤が来年の大河ドラマの主演に決まったという。国民的グルーブ「嵐」の一員で、メンバーカラー紫のカリスマアイドルが、戦国を泰平に導いた英雄 徳川家康を演ずる。その報に接して同姓同名の旧友を思いだした。

 中学時代、マツモトジュンという同窓生がいて、“マツモトジュン”だった。成績は五教科のみならず、美術、音楽、体育、技術家庭、含めてオール5だった。陸上の短距離 長距離ともに速く、クラスマッチでは3,000メートル走に出場して1位だった。所属するバスケ部は県大会で優勝した。生徒会は確か整美部長だったと記憶する。清掃用品などを準備し、整えるのが仕事である。
 色浅黒く、ワイルドにして知的だった。「サイレント・マッスル」「タフ・ブレイン」というイメージだった。
 その彼が高校進学後は美術班に入って意外に感じた。その後消息は、朦朧体のように朧になっていった。高校卒業後、再会の機会はない。
 随分と個人的なことを書いてしまった。同姓同名と書いたが、音は同じでも字は異なる。風のうわさで横浜か神奈川に住まっていると聞いた。輝かしいイコンのようだった彼に、四十数年を経た今、会って昔話をしてみたい。

大切な一国の大事な一刻

 トンガ沖の火山爆発は、津波の警報と潮位変化は直ぐに来たが、現地の情報が少なかった。
 近くのニュージーランドやオーストラリア軍からの情報が欲しかった。  
 宇宙軍も持つという米軍だって、状況次第で活躍していい。
 この辺、旧盟主国の英国がタクトを振るっていいと思う。
 勿論、当然、トンガ王国の要請と承諾あっての話だが。
 
 興味や関心ではなく、救出、医療、生活支援の話としてそう感じる。

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 BBCニュースより

「焼く・煮る」文化と「皿・椀」料理

 レヴィ・ストロースは“焼く”と“煮る”という調理法を、男性的な「焼く」に対して、「煮る」は女性的として対極に置いている。“焼く”の浪費的傾向と“煮る”の節約的傾向も指摘している。「料理の三角形」という、タイトルからして実にレヴィ・ストロース的な著書に書かれている。
 本書にインスプレーションを得て閑長は、お皿料理の“ 焼 ”料理的性格と椀料理の“ 煮 ”料理的性格を対比したくなる。
 「メイン・デッシュ」などと表現する西洋料理のスタンスと「一汁一菜」などを標榜する汁即ち椀主体の日本料理の傾向が垣間見える気がしている。

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 土井善晴さんのレシピから

二番煎じですが・・

 バルザックの「ゴリオ爺さん」は知れば知るほど名作と思う。手に取ったのが40代なのが悔やまれる。
 サマセット・モームが「世界の十大小説」に選んで宜なるかな、である。

 若い頃食わず嫌いだったのはタイトルの、陰気さ 爺むささだった。
原題は「Le Père Goriot」で、”Père”は仏語で「お父さん」「親父」の意味らしいから翻訳として無理はないのだが、“爺さん”の話なんぞ読みたくなる人は少なかろう。“ゴリオ”、もイガイガ感があってちょっと胃がもたれそうだ。

 同じく「十大小説」のフローベールの「ボヴァリー夫人」も、名作には違いないが、タイトルで得をしている。フランスの香気を感じさせる。原題の「Madame Bovary」をそのまま訳したに過ぎないのだが・・。

 「ボヴァリー夫人」には「マダム・ボワ゛リイ」という翻訳例もあるようだ。然らば「ゴリオ爺さん」はオシャレに「ペール・ゴリオ」で如何なものか。「ペール・ギュント」の例もあるし・・。と思ったら「Peer Gynt」の”Peer”はノルウェー語の固有名詞のようだ。

 構やしない、「ペール・ゴリオ」で行こうぜぃ 。
 「感情の自動激化」「思考は人を殺す」(平岡篤頼)というバルザックの思想を、親の愛も行き過ぎるとわが身を亡ぼす、という身近 な例で味わえる世界の名著を、タイトルだけで敬遠してしまうのは勿体ない。

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 書き終わって調べたら鹿島茂先生の同書訳に「ペール・ゴリオ」(藤原書店)があるのを知った。流石蒐書家にして碩学の先生である。

記憶の右ひだり

 昔のドラマや映画を何十年も経って観ると、意外なほど詳細を覚えていて驚くのだが、同時に重要なシーンの人物の立ち位置や登場方向が、左右異なっていて記憶してい、アレッと思う事が多い。
 BSで再放送中の「マー姉ちゃん」を観るのは40年振りだが、三女洋子が娘盛りになって再登場するシーンと、マー姉ちゃんの夫君東郷新八郎が一度だけ黄泉の国から現れる場面のどちらも左右が逆になって記憶していた。閑長の脳ミソ内では、洋子は右から現れ、新八郎も右側に立っている。
 只それだけの事なのだが、岩波新書の「絵画の見かた」という対談形式の本で、美学者の矢崎美盛が、絵画では、絵の重点は右にある、と語っている。対談相手は洋画家中村研一である。
 この伝を無理やり当てはめると、記憶に刻まれるシーン程、エポックとなる人物が左から右に変わっているのは「映像力学(造語である)」上、自然な記憶の変容に思えてヘンに納得してしまう。

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物言いに物申す

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 昨日の大相撲の取組みで長野出身の御嶽海の一番で物言いが付き「同体・取り直し」となった。
 この物言いにも、そして判定にも同感・納得であるが、大相撲の物言い全般に物言いを致したい。

  “同体とみて取り直し”の基準が統一されていない。
  今場所、“同体とみて取り直し”とすべき取り組みが他にも何番かあった。
  なお、同体判定は「攻守の可能性」が鍵と思う。
 
  審判委員長の解説が説明不足である。
  下記の解説は次の内容を盛るべきと思うが、2と3が皆無な上、
  4は全くの不十分である。

  1.行事判定  「行事は〇〇とみて軍配をあげましたが・・」
  2.物言いの理由「△△下の審判から〇〇ではないか、と物言いがつき・・」
  3.審査状況  「△△下、▲▲下の審判の意見
          及びビデオを確認した結果・・」     
  4.判定理由  「□□関の体が裏返っており or 体が飛んでおり・・等、
          攻めるも守るもできない死に体であり・・」
         「□□関の足が先に出ており・・」
  5.判定    「□□関の勝ち or 取り直し・・と致します」
 
   リタイヤ爺さんの戯言ではあるが、国技への期待は大きい。

 

新展開を創る

 一昨日の話。
 王将戦初戦の印象を渡辺王将は「秒読みだったので、分からなかった」と振り返った。挑戦者で初戦を制した藤井四冠の感想は「ミスもあったが、際どく詰んでいると思った」だった。定石を外して混戦になればなる程、有利になる棋士が勝利を引き寄せた一番にみえた。新展開に強いのである。
 数学には問題を解く数学者の他に数学を作る数学者がいるという。深い洞察から代数幾何学を大幅に書き直しグロタンディークや全く独自の視点から超函数を定式化し直した佐藤幹夫などが数学を作る数学者という。
 この伝で云えば、藤井聡太棋士は " 将棋を創る棋士 " になりつつある気がする。