miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

カメラアングル、観者構図、読み手文章、

 NHKの朝ドラの食事シーンを見ていて、ダイニングテーブルの人が座らない一辺からカメラが撮っているのがわかった。残りの三辺は、家人が窮屈そうに座っていた。朝ドラを見ていて、と書いたが、見せられていたのだけれど、出演者も食べさせられていたわけである。フト、映画も、絵も彫刻も、文章も、みな受け手を意識した仕掛けや構造になっていることに気づいた。受け手本位に留まれば未だしも、受け手ありきに堕すれば、随分とお門違いの代物になると思った。

隣り合わせの素数

 明石家さんまが「17歳が人生の最高潮」とどこかで書いたか、言っていた。閑長は13だった。ピークが早い分、落下も早く来た。
 以来、“ ヒット座ボトム ”することなく、今に至っている。13と17は並びの素数だが、人の生涯では随分と意味か異なる。振り返れば、目覚める前、気付く前に下山が始まった感じである。
 還暦過ぎて最初の素数年も過ぎてしまった。次まで5年もあるが、それより早く幕引きが来ない保証はどこにもない。

名作のⅡ Ⅱの名作

 映画館で「トップガン・マーベリック」を観て、本が、つまり脚本が良いとおもった。状況とキャストのキャラ、相関関係が実に上手くセットされている。基本設計がハリウッド的というよりむしろ東洋的である。絶対的な主人公でなく、連峰式のヒーロー設定で、超越的な存在も、時に助けが必要とされる。
 
 抑制と抑揚の両方が効いた、今日までで今年一番の出来の洋画を観た。

疲労とズレと・・

 日本の“ 非常任理事国12回 ”は、名誉と言うより、「常任理事国」体制の制度疲労を意味している気がする。早急に「常任理事国」交代制度に道筋をつけるべきと思う。拒否権連続発動というのも世界の常識からズレているとみていいのではないか。

「バベルの図書館」の「バベルの著作」

 阿部公房が自著の「砂の女」のインタビューに対し「大意なんて書けるくらいならこの本は書かない」と応えていた。NHKの「100分で名著」という番組だった。
 以前にも似たようなことを見聞した記憶がある。
プラトン」の著者 田中美智太郎は、要約できないから本にしている、要約できるくらいなら本など書かない、と語っている。
 弟子に著作の解説書を懇願された西田幾多郎は、新たに本を " ものす " のだが、それが悉く新たな論文集になってしまったという。

 渾身の著作には文そのものだけでなく、その行間にも真意が潜んでいるかのようである。結局、如何にしてもそれを縮める事は不可能なのだろう。

抑制の風

 新井満という人が「千の風」を訳詞したということは、NHKの「あの人に会いたい」で初めて知った。実は新井満という人のことも初めて知った。
 原詩は良いと思う。好きである。訳詞は意訳が過ぎる。違訳とすら思う。さらに頂けないのは歌謡の歌いっぷりである。威容を誇っては台無しである。

 つまり、千の風とは、小さな、微かな、密やかな風と思うのである。SoftでGentleな筈と思うのである。

男のグラブ、男の勝負

 映画「ロッキー」で使用されているグラブは、Ⅰがカサノバで、Ⅱはレイジェスである。どちらもイタリア製のナックル部分が極端に薄い、男のグラブである。名画は小道具にも味がある。
しかし、それぞれのグラブを選ぶのは誰なのだろう。スタローンか、プロデューサーか。ともあれ心憎い演出である。ロッキーⅢのグラブは未確認だが、ロッキーファイナルはエバーラストだった。歳と共にグラブも丸くなるようだ。
 今日は 井上-ドノアの、バンタム級王座統一戦 の日である。