阿部公房が自著の「砂の女」のインタビューに対し「大意なんて書けるくらいならこの本は書かない」と応えていた。NHKの「100分で名著」という番組だった。
以前にも似たようなことを見聞した記憶がある。
「プラトン」の著者 田中美智太郎は、要約できないから本にしている、要約できるくらいなら本など書かない、と語っている。
弟子に著作の解説書を懇願された西田幾多郎は、新たに本を " ものす " のだが、それが悉く新たな論文集になってしまったという。
渾身の著作には文そのものだけでなく、その行間にも真意が潜んでいるかのようである。結局、如何にしてもそれを縮める事は不可能なのだろう。