miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

二つの肖像

甘粕正彦の評伝二作を続けて読んだ。
似て非なる人物が二人現れた。
両作を合体、混合させようとしても。中々混ざり合わない。
山なら山、薔薇なら薔薇といった、同じモチーフを描いた別の二つの絵に思えた。
伝記の宿命かもしれないが、客観を探索し選別するのは主観なのだ、
偶然と運も大きく影響する。
率直な読後感をいえば、余りのめり込まない女性作家の筆に共感を覚えた。

 角田房子「甘粕大尉」 
 佐野眞一甘粕正彦 乱心の曠野」

あの一通

正月15日はお年玉年賀ハガキの当選番号の発表である。
今までの最高当選順位は5等である。今年はせいぜい6等だろう。
閉話休題、半世紀以上に亘ってやり取りしてきた年賀の中に、未だに文面を記憶するモノが数通ある。
全て小中学校時代の年賀なのは意外といえば意外である。
やり取りしてきた彼らは今、どこにいるのだろうか。果たして生きているのだろうか。
川端康成の「眠れる美女」の口吻を真似たような心境になる。

先々ほど怖い

 南海トラフ地震の今後20年の発生確率が60%に引き上げられた。時間の経過に伴うものという。周期的に発生する地震では、地震が起きていない期間が長引くほど発生確率が上がるのが理由である。
 してみると、今から10年経っても南海トラフ地震が発生しなかった場合、続く次の10年の発生確率は、コンデンスされて大変な高率になるのではないか? 10年経っても、今と同じく今後20年の発生確率を云々しているとしたらナンセンスに思う。今日、発生しなければ、明日はもっと発生しやすくなってい、それが発生までずっと続くのである。
 南無阿弥陀仏

玄か素か

 能面の表情を「中間表情」と表現したのは野上豊一郎だったと記憶する。
 けれども「中間」というのは純文学と大衆小説の間を意味する「中間小説」を連想させてイメージが良くない。
 閑長ならば「無色表情」とか「玄表情」と名付けたい。
 「素表情」でもよい。
 あいだを示す中間よりは未だしもマシのように思われる。

盤の如く石の如し

 一横綱大関の今場所は、横綱照ノ富士休場で上位陣がお寂しい限りである。弥が上にも新大関誕生に期待だが、大関候補が大関になり、すぐさま陥落候補、陥落大関、元大関・・となり下がるような気がしてヒヤヒヤものである。
 真の日下開山が待望される。

事件の現場

 大杉事件の甘粕大尉がなぜ大尉止まりだったのかずっと疑問だった。関連書籍を読んで、事件で免職になり、昇進したくも、或いはさせたくも軍の管理外になったことを知った。夫妻子殺害の衝撃が肩書きを凍結したのである。
 そういえば、ナチのユダヤ裁判のアドルフ・アイヒマンも中佐だった。印象を云えば、司令官や将官ではなく大尉や中佐の方が臨場感があるのは確かである。それによって本当の親玉や黒幕が難を逃れては本末転倒だろうが。

がっぷり四つの

 藤井王将に羽生九段が挑戦する王将タイトル戦は、藤井王将が初戦を勝利した。正直、後手の羽生九段に勝たせたかった。その位のハンディキャップを持たせたかった。
 永世七冠、タイトル通算99期の将棋の盟主に、“ハンディ”などとは僭越かもしれないが、今、お二人に率直な感想を聞いたとしたら、夫々の全盛期にこそ対戦したかった・・と応えるのではないか。
 名勝負を期待する盤外観戦者としては、縺れにもつれて七番線勝負にまで突入して欲しい気持ちである。