miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

 悲劇の最大要素は必然性
  そう言ったの福田恒存だったと記憶する。

 その伝で続けると、

  喜劇の最大要素は、おとぼけ性
  音楽の最大要素は、きっと調和性
  散文の最大要素は、特定不能
  詩歌の最大要素は、おそらく内発性

  ブログの最大要素は、勝手気ままな自由性

  共通点は、代替不能なところ。

ヒーローは一人だけ

 映画「ロッキー」の続編『クリード 炎の宿敵』は、ロッキーのライバルにして親友 アポロの命を、試合で奪ったロシア人ボクサー、イワン・ドラゴが、息子ヴィクターを最強の戦士に鍛え上げ、ロッキーへの復讐を図るという映画である。
 ドラゴは、ロッキーとの試合に敗れ、国家的英雄としての地位と名誉を失い、ウクライナで貧しい暮らしを送っていた。
相手はロッキーに鍛えられたアポロの息子である。ドラゴとその息子は、結局は敗れる。
 ここまでは良い。
 けれでも、視点を変えればヒーロー足りうるドラゴとその息子が、あたかもヒール(悪役)として描かれているのは、日本人としては頂けない。ドラゴの元妻が、息子の敗色濃厚をみて試合会場から出ていくシーンに至っては、ガッカリしてしまう。

 吉川英治の「宮本武蔵五味康祐の「柳生武芸帳」を引くまでもなく、ライバルを等価に置いて描き切ってこそ、ドラマに味とコクがでる。

無焼印、離脱者、一匹狼

 マーベリック (Maverick)が ”一匹狼”の意味であることは、東北大学の西沢潤一教授の特別番組で知った。番組ではノーベル賞学者江崎玲於奈氏が西沢教授を評する時のレトリックとして使っていた。西沢教授は、光通信のパイオニアにして大家で、半導体関連の特許保有件数は世界最多の碩学である。
 意味が解ってハリウッド映画「トップガンⅡ」の“ マーベリック ”の含意がはっきりした。映画も教授も魅力が一段と増した。

口は目程に

 かねて日本人の映画はなぜか作り物っぽくて、リアリティに欠けると思っていたけれど、BSのヒューマニエンスの「目」をみて、謎解きのヒントを貰った気がした。
 
 番組の知見では、欧米人は口元で感情を伝えるのに対し、日本人は目で気持ちを伝えているとされる。口元と目では随意筋の量と質、つまり演技の迫真性に大きな差が出るように思う。要は日本役者の眼には、本心が投影されて、芝居っけが抜け切らないのである。
 
 反対に上出来の邦画は、役者が役に成り切った所産ともいえる。してみると、“ 石 ”の多さを嘆かず、名品の“ 玉 ”
たるを喜ぶのが邦画鑑賞の心得なのかもしれない。

ハレの役目

 ノーベル平和賞のメダルが高額で落札されたけれど、オークションの形をとった資金援助であり、声明であることは明白である。
 メダル自体は栄誉の象徴であるが、それが国際支援の旗幟として使われたのだから、このメダル、国際的にも最大級のシンボリックな役目を二度も果たしたことになる。

 将に平和の使者、旗印としてこの小さなメダルに相応しい愛称を贈呈したくなる。

表題が決まらない

 久々、ほぼ10年振りくらいに映画「ロッキー」を視聴して、良く出来ているのに驚いた。ただのエンスー映画でなく、
アトラクショムービーンでもなく、省略どころ、荒れ処、ヨコ揺れをかまして、ブレない柱を際立たせている。つまり、抑制が効いたザラザラしたリアリティがある。
 
 これ、全てロッキーⅠの事である。
 観終わって、スタローンの作劇手腕に10カウントを聞いた思いがした。