miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

我流月旦

不満のあおり
善意のかこつけ
間もたせの誘導尋問
時間調整のジェスチャー
先鋭を振りかざした保身
担当にならない者の放言
体制批判によるネタ枯れ隠ぺい

偏狭なる閑長による我がまま月旦、ワイドシューコメンテイターの段である。
それなら観るな、とのご叱責が聞こえそうである。
自宅引き籠りでカミさんに付き合ってイヤでも耳にしてしまう
なお、これでまだ半分である。

 

美は真であり、真は美である

Beauty is truce, truce beauty,
イギリスの詩人キーツの「ギリシャの壺のオード」の一節である。

四竃公子の「枯れていくひまわり」という絵を観て、この一節を実感した。
咲き誇るひまわりでなく、時間を背負って枯れつつあるひまわりにも、言い知れぬ美がある。

キーツは続ける。
that is all Ye know on earth,and all ye need t know.

詩、文学、絵画、彫刻、音楽、舞踊。真を観ようと努めて過ちはない。

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図録より転載

冒険の相棒は・・

 SEIKO セイコー 6105-8110 セカンドダイバー、別名植村モデルは、冒険家植村直己が北極探検に使用した時計として、コレクションアイテムである。こだわりが身上のマニア諸氏はさらに、植村が何年のどの時期のモデルを使ったか、にこだわる。巷間言われているのは、セイコー セカンドダイバーの1975年以降の後期モデルということになっている。
 しかし閑に任せて文献を漁ったところ、植村は74年の5月に結婚し、12月に北極圏に出かけている。ご令室の証言によると、この時計を気に入った植村は、東京にいるときからこの時計をはめていたという。とすると、74年の前~中盤の生産モデルが植村機である可能性が高い。というよりほかに考えられぬ。
 74年の裏面刻印がサークル型のSEIKO セイコー 6105-8110 セカンドダイバー、植村ファンならこの時計を探求すべし。

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 (ネット収集画像)

とうもんのどうもん

 辛坊治郎鴻上尚史いとうせいこう町山智浩四氏の、それぞれの分野でご活躍、同慶の至りである。
 さてこの四氏と閑長とは、大学学部の同門で、期間の長短はあるが、在学期間が重なっている。生協食堂で120円の“カレー生野菜”を隣り合って食った可能性がなくはない。在学生も入場料を払う早稲田祭に憤激し、核マル支配の法学部祭での休講を喜んだ若き日を偲び、彼らも思いを同じくしたかと思うと、交流がなくとも妙なシンパシーを覚える。
 
 さてほぼほぼ同い年なら皆アラ還であって、忍び寄る衰えも変わりはない。自分も同じだけに、四氏の言葉の切れの衰え、レトリックの不冴え、合いの手の遅れなどなどがよくわかる。言語脳と認識脳が別々にあって、言語脳が勝手にしゃべるのを「いいこと言ってるじゃん」と聞いている別の自分がいた時代が懐かしく、眩しい。

 けれども、閑人している閑長も韜晦を楽しみ、こうしてブログを日課にしています。一枚看板の諸兄、今しばらく気張りましょうか。

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加齢とオッカム

 書籍の分野によって文体や表現に違いや特徴があるのか。結論を言うととそういうことなのだが、そんな思いに駆られたのは、神学の本を読んでいた時だった。キリスト教の聖者の最期で、「石打ちの刑によって殉教の死を遂げた」とあって、こんな文章が続くのかと暗然となった。「石打ちにあって殉教した」でよいではないか・・。
 しかし、加齢によって気短になったためかこういう事がよくある。新聞を読んでいるのか、記事にイチャモン付けているのか、最近は後者のウェイトの方が高いように思う。簡潔に書いてよ・・が口癖である。この分だと直に自分の魂の緒にまで剃刀を当ててしまいそうで弱る。
 
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 (ネット収集画像)

“逆”説的表出

ウィリアム・ブレイクの「地獄と天国の結婚」は逆説の書である。
その言葉は思考を活性させる。
コントラリーがなければ、進歩がない。人間には、魅力と反発、理性とエネルギー、愛と憎しみが必要である」

表現は挑発的で逆説的である。
「過剰の道は知恵の宮殿につながる」

だがしかし思考は反面、現実化する性質をもつ。ニーチェはいう。
「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」

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 (ネット収集画像)

かなたの表現

「耳に聞こえるメロディは甘く美しい 聞こえないメロディはしかし、もっと美しい」
ジョン・キーツ

「小さな真実は明晰な言葉をもつが、 大きな真実は大きな沈黙を持っている」
ラビンドラナート・タゴール

 こころを打つ知恵の言葉である。だが閑に任せて付け加えたい。無声と沈黙には場面がある。中心になっては空疎なだけで、メロディと言葉があって活きる。

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 (ネット収集画像)