miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

詩と美術

セザンヌは、 ボードレール悪の華「腐肉」の一篇を 愛唱していたという。 それを知ると、静物画の観えかたが深くなる。

比べて見れば・・

スティーブン・ファージング「世界アート鑑賞図鑑」(東京書籍)は、当今評判のゴンブリッジ「美術の物語」以上の名著と思う。 コメントと記載方法、採り上げる作品、全て踏み込みがあって傑出している。 といより、「ゴンブ物語」はそもそも大した本ではない…

感性と狂気

昨日の投稿で、全詩集を架蔵する詩人のすべて女性であったように、閑長は女流詩人が贔屓である。詩ばかりか、短歌も俳句も女流が好ましく思う。男性は形而上がかって堅苦しいのみならず、ウットオシイ。 絵画はといえば、これは女性男性五分五分に思う。良い…

対角線の隠し味

「私は対角線が嫌いだが、ホッパーの対角線だけは別だ。ホッパーの対角線は、私が愛する唯一の対角線である」 マーク・ロスコがエドワード・ホッパーの絵を評していった言葉である。改めてホッパーの絵をみると、窓から差し込む日光は対角線の様である。水平…

美は真であり、真は美である

Beauty is truce, truce beauty, イギリスの詩人キーツの「ギリシャの壺のオード」の一節である。四竃公子の「枯れていくひまわり」という絵を観て、この一節を実感した。 咲き誇るひまわりでなく、時間を背負って枯れつつあるひまわりにも、言い知れぬ美が…

老狼の美

ヘッセの「荒野のおおかみ」には、小説と詩があるが、詩の方の話である。 この24行の詩は、 「おれは荒野のおおかみ、走りに走る」と始まり、 「生活を朗らかにしてくれるものは、おれから遠ざかってしまったのか」と続き 「おれの尾はもう白くなりかけた。 …

黄金の鹿、まぼろしの鹿、しぐれの鹿

札幌の古書店から村野四郎詩集が届いた。旺文社文庫版の、かねて探し求めていた本である。目当ての「鹿」をめくると、加藤楸邨の文が添えられ、良寛が自作の歌を認めた書を、翁が寸でのところで手に入れ損ねた逸話が引かれていた。神無月の丘に濡れそぼつ男…

侘助のこころ

二十年ほど前、単身赴任先で、椿なら白の一重がすきだという人に会った。あとでわびすけ(侘助)という種類と知った。五月頃にいい香りで咲く白い筒形の花を忍冬(にんどう)と教えてくれたのもその人だった。 わが家のは、どこにもある芦原という赤の二重で…

あざみ、物言わざれど

忘れねばならぬ旅きて野のあざみ テレビで「あざみの歌」が流れて、冒頭の句が心に浮かんだ。俳人で女優でもあって茶道も教えた稲垣きくの作である。 あざみで思いつくことは多い。 「ハヂ・ムラート」の冒頭で、野を歩くトルストイにコザックの英雄ハヂ・ム…

末期の言葉あってこそ

林倭衛は隣町出身の画家である。生家の前の旧道が私の通学路だった。「出獄の日のO氏」で知られるこの異色・酒豪の画家は、青春の日の詩で「全て狂乱にまで逆上りゆく極度の緊張にありたい」と、「魂の爆発」を願った。 浴びるほど酒を呑み、酔いから醒めて…

閑長の還り路

「出発点を旅立って、再び元の場所に戻ったとしても、それが人生、決して無駄ではない」 思い出すたびに救われる気持ちになる詩句である。昭和30年に平成30年を重ねて・・いよいよ第四コーナーを迎える今の私に相応しい。 そんな折、この詩句を体現している…