miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

本人たちは知っている

 チャレンジャーは強いだけでは王者になれない。チャレンジャーらしい勝負で王者を下さなければならない。
 1985年の山下・斎藤の講道館杯柔道は、49対51で斎藤の勝ちだった。試合後の両者のしぐさでわかる。斎藤に足りなかったものをあげるならば、挑戦者として闘いだった。だが試合後、「山下先輩よりも弱かったから負けた」と語った一言で、斎藤の王者がわかる。
 勝っただけでは王者ではない。じょっばり柔道は聳えている。
  
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一瞬の実態 一見の中身

テーブルクロスを、コップや食器を倒さないで一瞬で引くという芸がある。やってみたことはないのだが、クロスを引きつつ、三、四センチの空気の層を反対側に押すと、成功すると思う。みんな知っているのかもしれないが、引くように見えるが、押すのがコツと言う訳である。

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 ネット収集画像

 

ドラマだった

 BSで朝ドラ「澪つくし」が再放送されていて、昨日が最終回だった。エンディングのドラマツゥルギーに感動、敬服してしまった。大きな筋の構えが麗しい。小味と伏線が効いている。細かなストーリーの披露は略させて頂くが、宗吉の三度目の求婚を断りつつ、未来に含みを持たせたラストは見事。老醤油職人 高品格の乾杯と万歳の言い間違いは前触れとして秀逸。もっとさかのぼると、梅木の書きかけて、消し込んだ末期の手紙がよい。白紙が語った。惜しむらくは、最後ちかく、梅木の墓前で双子の子らに一瞥を加えて欲しかった。その眼差しで、決まっていた。されどもジェームス三木さんの手際に、本当に乾杯。
 
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人知れぬ美しさ

最近入手した画集に画家の署名と識語があった。署名は承知していたが、識語には驚きかつ喜んだ。「美しさとは目立たぬことである」とある。画家は本荘赳、小学校の先生を長く務めた平塚の画家さんで、あえて盛名は求めなかった。識語のとおりの境涯と画業だった。

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 (ネット収集画像)
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小味のワンカット

「エクスペンダブルズⅡ」で新たにメーバーに加わったビリー・"ザ・キッド"・ティモンズが、軍隊を辞めた理由を
「上官の命令で、面倒を見ていた野良犬が殺されたから・・」と語るシーンがあって、チームメイトのヘイル・シーザーの表情が写された。シーザーのキッドへの共感と消耗品の矜持が出ていた。この瞬間に新人はチームの一員になった。男の映画はこうであって欲しい。
アクターばかりが役者じゃない。ムービースターの演技も悪くない。プロットもCGも横に置き、この妙味を玩味したい。

一昨日の昼、テレビ東京で流された午後のシアターを観ての所感である。

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瞑目する色

 白は光を発散するのに対し、黒は光を吸収する色という。ベルギーの作家 フレデリク・デ・ヴィルデは究極の黒で今までにないレベルの吸収率をもつ黒の制作に挑んでいる。目指すのは「究極的な色の不在」という。
 以前にも書いたマレーヴィチは「シュプレマティスム」で対象を無化して絶対に至る道を示したが、それでも色と形態は残った。デ・ヴィルデは、光さえ逃げ出せないブラックホールのような色一色で、最終・最後の絵を目指そうとするものか。
 先達として挙げ得るものは、水墨、破墨の描かない、彩色しない白の間だけかもしれない。
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 デ・ヴィルデ「量子泡」
 デ・ヴィルデの黒だけの作は、ネットでも探し出せなかった。