「ジョルジョーネ頌」
ティツィアーノに比定される作品を、ジョルジョーネ作と鑑定すると喜ばれるといわれるが、それは単に稀少性と価格だけの問題ではないと思う。
「詩想の画家 ジョルジョーネ」「絵画の発見 ジョルジョーネ『嵐』解説」を続けて読んで、絵画という芸道の象徴力を、最も深く表現し得たのはこの画家ではないかと思うようになった。
形容の序列
形容詞が二つ、三つあるとその序列はどうなるのだろうか。青い、大きい、清々しい等々の包摂と無関係な形容詞であれば問題は生じないが、カテゴリーや帰属が関わってくと形容詞間の優劣次第で意味する内容が大きく異なってくる。
イギリス社会の階級を表現する「ロアー・ミドル・クラス」の意味するところを参看すると、体言に近い方の形容詞がカテゴリーを支配するようなのだが、目にする順序に左右される、つまり“ 先出し優勢解釈 ”も十分成り立ち得よう。と、いうか普通に「中の上」と云えば、所属的には「中」となるのが普通だろう。
結局、習わしの問題に収束しそうだが、語句としての役目を果たすテーマ性によって、決定されるとみてほぼほぼ間違いなさそうにも思われる。
文法は意味に従属する・・?