miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

初めにイヴありき・・

 ジェンダー問題で話題にしにくい「男坂・女坂」なのだが、発生論から考えると、一般的で標準的な女坂が先ず開通し、せっかちか、肝短かか、体力自慢の登山者なり参拝者によって男坂が開かれた、という順序と思う。逆の順序は考えずらいし、同時開通も工程の負担で「開山」や「開闢」ないしは「創建」が遅れてします。

過ぎたるは尚・・

「説明的」ということばが、絵画で描き込み過ぎの出来の悪い例として使われている。遠近法をはじめ絵画史は説明を高める歩みでもあったと思うのだか、やはりほどほどが良いのだろうか。かといって近頃の説明がつかない絵が評判になるのはどうしたことだろう。

別個の数学、別個の物理

 ABC予想の望月新一教授による証明法は、全く別の新しい数学世界を仮想するほど独創的という。勿論その詳細は閑長の手には負えない。
 だがしかし、実験ではなく数学的な“ 都合 ”に基づく、例えば素粒子物理における超ひも理論のような予想は、根拠とする数学自体を別個に創設してしまう事で、全く違った理論を生み出す可能性がある。
 超々微細な神秘の世界では、その位の事があっても、また出来ても少しも不思議ではない。

つきづきし・・

 名は実を現す・・
  源氏物語のヒロインは皆、名前でほぼほぼキャラクターや役柄が知られるが、唯一の例外と言い得るのが、朧月夜ではないだろうか。
  活発奔放な気性には、月夜ならむしろ三日月や十三夜が似つかわしかろうに。最後に姿を消す物語をもって " おぼろ " としたものだろうか。
  印象と余韻の両方が綾なす姫君である。

「ジョルジョーネ頌」

 ティツィアーノに比定される作品を、ジョルジョーネ作と鑑定すると喜ばれるといわれるが、それは単に稀少性と価格だけの問題ではないと思う。
「詩想の画家 ジョルジョーネ」「絵画の発見 ジョルジョーネ『嵐』解説」を続けて読んで、絵画という芸道の象徴力を、最も深く表現し得たのはこの画家ではないかと思うようになった。

形容の序列

 形容詞が二つ、三つあるとその序列はどうなるのだろうか。青い、大きい、清々しい等々の包摂と無関係な形容詞であれば問題は生じないが、カテゴリーや帰属が関わってくと形容詞間の優劣次第で意味する内容が大きく異なってくる。
 イギリス社会の階級を表現する「ロアー・ミドル・クラス」の意味するところを参看すると、体言に近い方の形容詞がカテゴリーを支配するようなのだが、目にする順序に左右される、つまり“ 先出し優勢解釈 ”も十分成り立ち得よう。と、いうか普通に「中の上」と云えば、所属的には「中」となるのが普通だろう。
 結局、習わしの問題に収束しそうだが、語句としての役目を果たすテーマ性によって、決定されるとみてほぼほぼ間違いなさそうにも思われる。
 文法は意味に従属する・・?

潮位

 英国のエリザベス女王崩御され、同じ“ 国葬 ”となって、安倍元首相の国葬の違和感が際立った感がある。
 在位期間だけでも70年と2,822日では雲泥の差がある。何よりも国民の抱く、弔い、送る意識に差がある気がする。