miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

人が集まるところには

アオキ、大広、カドカワ、そして・・
 反社、コンプラがこれだけ叫ばれる令和にあって、五輪の贈賄が取り沙汰されているのだから、昭和の五輪の内幕は、
日本の黒幕、犯罪組織、地下機構、外国勢等々が勢ぞろいしたのではないだろうか。今更ながら五輪史を繙けば、その体質と性格が浮き彫りになると思う。

部分のぎごちなさ、全体のしっくり感

 「ものに部分はない」という。人文科学のみならず自然科学の世界でも聞かれるテーゼである。記憶の限りでは、福岡伸一の著書、ホワイトヘッドの論考、ギュンターグラスの戯曲で目にした。
 細菌のTVドラマで、ぎごちない、板につかない方言を耳にし、その俳優は方言の地の出身だったのだが、普段使いは標準語で、セリフだけドラマに合わせて方言を話している様子が伺え、このテーゼを思い出した。

 部分だけでは、結局、座りの悪い借り物に終わる。

左利きで、右効きで、剛力にしてひ弱な、・・

 数学の問題は、出題の条件をすべて使わなければ正解とならない。勝手に都合の悪い条件を切り捨てたり、付け加えたりしてはいけない。

 解法的な視点でみて、オリエント急行殺人事件の犯人が乗客全員というのは、ハナから判っている。
 精々、更に突っ込んで、ポアロが黒幕的な間接正犯ではないか・・と勘ぐりをいれる位であろう。

成り行きか事件か

 保険金殺人の容疑者が「拘置所内で自殺を図り、死亡した」は「安倍元首相が狙撃され、死亡した」と似ている。
 不都合な表現を迂回し、当事者から第三者的な立場に視座を変えている。中立的と言えなくもないが、責任の所在は曖昧になる。
 「自殺した」「暗殺された」では警察の世間体が悪いが、変わり身の片棒を報道機関が担っては、客観栄えて、究明は滅ぶ。

疑義と時期

 木村草太の国葬記事に感服した。内閣の権能、法の下の平等、思想の自由など、憲法レベルで疑義を展開している。明解かつ透徹した論考だった。
 ただひとつ付け加えたい、統一教会問題の喧しい中、その張本人と協会との関係を、十分に検証と説明せずして強硬挙行しては、民主主義の精神に悖るとの誹りを免れまい。
 浦川ゼミ先輩の岸田総理、開催決定は少なくとも拙速ではありませんか・・。

 

二十一回猛士

「字」が似ているという体験は多くない。が、それだけに似ていると妙な親近感を覚える。顔や声の近似とはなにか違った、濃い感覚である、
 吉田松陰の墨蹟が自分が書いたように似てい、性格や境涯まで類似している錯覚に陥る。右上がりの運筆とやや極端な止め、跳ねがよく似ている。線の細さはまさに酷似である。
 
 偉人、高士すぎて気後れするが、“ 特の猛なる ”ところは肖りたい気持ちになる。