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閑長のひとり言

閑長のひとり言

定義違えば・・

 水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」(2014年)は好著と評判で、榊原英資佐藤優中谷巌など、名立たる読み手、書き手が賛辞を寄せている。
 肝となる立論は存外単純である。
「中心」と「周辺」からなる資本主義は、物理的な「周辺」である新興国と、人為的「周辺」である「電子・金融」マーケットの両方で限界に達し、結果、市中金利が過去最低になるなど、その終焉の兆候が現れている。
 閑長は産業と経済に係わる仕事にたずさわった若き日、製造業の海外展開を“「格差」を求めて、格差を薄める資本主義構造”と、比喩したことがある。今回、水野書を読んで、「中心・周辺論」などには共感した。
 けれども資本主義の終焉を結論するのは過ちと思う。「中心」も「周辺」も一つではなく、変遷も創出もされる。「格差」は薄められても質的・量的に異なる「新・格差」を見出しうる。現今のAIが、微細化技術で可能となったように、今まで顧みられなかった微細な格差を商機にすることも考えらる。というよりそれを発見・創出するのがシュンペーターのいうイノベーションだろう。水野の概念図を借りれば、上下、前後左右、表裏に新「周辺」を想定しうるのである。
 さて水野は、前掲書の二年半ほど後に著した「国貧論」で、市場経済とともに存続可能な「変化変容した資本主義」はを、“資本主義とは捉えない”・・と書いている。これではもう定義の問題である。 
 
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 令和30年にも、その先の明成※30年にも質的な変化を伴いつつ資本主義は続くだろう。問題はむしろその時の、国体と人権だろうと思う。

  ※明成は令和の次の元号。閑長の妄想。