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閑長のひとり言

閑長のひとり言

“純粋”に関する無粋な話

 西田幾多郎は、“純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明してみたい”として、「善の研究」を著した。“絶対矛盾的自己同一”や“行為的直観”など、その後の西田の仕事をみると、“純粋経験”で目指したものは、対立・矛盾する立場を統合し、より高みを目指す自覚的姿勢とみてよいと思う。西田の著作解説をいくつか読んだ上の管見である。

 三島由紀夫川端康成の著作を「純粋持続」と評した。こちらは、解説もなく解釈に悩むが、始まりと終りのある実在を、終りがなく、始まりさえ定まらぬ非実在と不在で表象することに近いように思う。川端の著作で非実在と不在とは、やがて夢と幻、霊の世界に昇華したように思う。
 
 カントの「純粋理性批判」にはじまり、純粋の意味は広くて深い。“純粋”の意図するところを閑長は、彼岸と対岸を採れ入れる拡張的な意味に捉えている。純粋という術語が重々しく登場するたび、そう思いながら接している。
 
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