似て非なる、非なれど通じる・・
日本古代史の直木孝二郎は、古代の天智、天武、持統の三天皇を、戦国武将の信長、秀吉、家康に準えている。
個人の資質、境遇、歴史上の役割ばかりか、三者の関係が対比的だというのである。透徹した洞察に驚嘆するばかりか、斯界の泰斗がよくぞ言明したものと敬服してしまう。こうしたメタファーはともすれば軽めに見られがちだからである。
アカデミーとは無縁の閑主は、謙遜の必要がない程、ライトでチープな存在である。そんな閑主だからこそ、直木博士の顰に倣い、無手勝流のアナロジーを試みたい。
聖徳太子とイエス・キリスト
本阿弥光悦とレオナルド・ダ・ヴィンチ
雷電為衛門とアレキサンダー・カレリン
山本鼎と岡倉天心
仲代達也とクリント・イーストウッド
糸の切れた凧と閑長の妄想
さて、落ちが付いたようである。