「て」抜きの文 - 追悼 石原慎太郎
石原慎太郎の「我が人生の時のとき」を読むと「て」を省略し「い」で止めて、読点「、」とする文が多く、痺れてしまう。
「風が吹きすさんでい、」
「骸骨のように透けてい、」 等々
真似して書くと、脱落と見做されてわざわざ「て」を補われて、困る。
コトバンクによれば、順接の場合の助詞「て」は、確定条件を表わすといい、次のサンプルが載っている。
古事記(712)中「手足わななき弖(テ) 得殺したまはざりき」
方丈記(1212)「風烈しく吹きて、静かならざりし夜」
閑長はこの他にも、合の手の「て」、クッションの「て」があるように思っている。謂わば間合いの「て」と緩衝の「て」であると思っている。
さて、その「て」抜きの文であるが、間合いを詰め、直截にして質朴で、若々しさと潔さがある。
「文は人なり」という。実に慎太郎らしいと思う。