miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

道元の時、ベルグソンの時

 哲学者梅原猛道元の「正法眼蔵」を日本最高の哲学書と言ってい、影響されて若い頃に読んだ。
 どえらく難しいところと日常生活のガイドラインを書いた随分砕けたところがあって、面食らった記憶がある。
 なかに「有時」という章があって、山に登り川を渡る記述があって妙に記憶に残っていた。古文でありながらハイキングの例えを引いていたのが印象的だったのだと思う。

 「有」は「存在」で、「時」は「時間」で、「有時」とは時間と存在が一つである、という現実の解釈を示した言葉らしい。この解釈は、次の代表的な言葉で表現されている。 

  “ いはゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり ”
  (「有時」というのは、時間がすでに存在であり、存在はすべて時間である)

 読み返してみて、実に日本的な立ち位置であり、表現と思う。よく言えば統合的で、悪く言えばゴッタ煮的である。“ 自由 ”“ 主”党的を先取りするような発想に思える。存在するのは時であって、物ではない、とする西洋哲学流の思想(確かベルグソンの思想)とは一線を画する。

 日本文法は、国語学者の数だけあるという。ならば存在論・時間論も哲学者の数だけあってもおかしくない。哲学者の生い立ちや風土に影響されたとしても不思議ではない。

 f:id:miyukie33ok:20220205071203j:plain