不射の不射 不描の不描
中島敦の「名人」は高校生の時に初めて読んで、その後、何度も読み返している。
天下第一の弓の名人になろうと邯鄲に住む紀昌が、名手・飛衛に入門する。
五年余の難しい修行のすえに奥義秘伝を習得する。
腕に自信を持った紀昌は、師の飛衛を殺そうとして失敗する。
師の勧めで紀昌は、さらなる名人を求め、霍山に隠棲する老師・甘蠅を訪ねる。
そこで紀昌は、矢を放たずに鳥を射落とす不射の射を甘蠅に圧倒される。
九年後、紀昌は無表情の木偶の様になって邯鄲に戻ってくる。
飛衛をはじめ邯鄲の住人は紀昌を天下一の名人と認めて絶賛する。
が、紀昌はいつまでも名人芸を披露しようとしない。
「弓をとらない弓の名人」として紀昌はかえって有名になる。
その後ついに紀昌は弓を手に取ることがなく、晩年には弓の名前すら忘れ去るに至る。
「名人」では芸道の極北として「不射の不射」を描いている。
さて、絵画作品に、「不描の描」として“ 余白 ”を見立てることに異存は少なかろう。
では「不描の不描」は。
セザンヌの塗り残しというのとは異なる。水彩の描かざる白地が近いか。
禅画にならありそうだが、寡聞にして、一点一線のない掛け軸には未だお目にかからない。