日記と書簡類が含まれて「全集」とよばれ、含まれないのは「集」とか「著作集」とされる。以前、そんな文章を読んだことがある。してみると岩波の「岸田劉生全集」は正しく全集なのだが、画家の場合は絵を含まないのは、全集の僭称ではないか。せめて全十巻の半分を占める日記はオリジナルの挿絵付きとして欲しかった。
劉生の即妙な筆捌きによって、その日記は続き物の浮世絵のような命を宿している。宿願の屏風を手にした時や、交遊、酒席の描写は特に見事である。「麗子」や「道路と土手と塀」の静・写的な写実とは一味ことなる、「パラり」「ヒラリ」とした写実がある。