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閑長のひとり言

閑長のひとり言

過褒なり93段

 昨日の続きである。
 放送大学の講義では、徒然草93段の解釈に小林秀雄を担ぎ出して、結論とも言えぬ結論でお茶を濁している。結論とも言えぬ結論・・との評価は、我ながら至当と思う。同段の最終節「生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」「生死の事など、どうでも良い人がいたら、その人はまことの悟りを開いたと言えるだろう」の評価を、小林説も自説も開陳せずに素っ気なく終えているのである。観ていて「うんなぁ~」と声を上げてしまった。 
  
 小林秀雄は閑長の崇敬する文学者であるが、感激屋で譫言もよくする。佐野乾山をもってして「贋物臭などまるでない・・」がその例であろう。つまり、自分好みとなると、余人と同じく盲目となる。

 さて件の93段、閑長は、兼好法師のこんな姿を想像する。
 偶々聞き及んだ牛の逸話が気に入った。その逸話を使って書き始めたが、〆を書くにあたって、脈略が乏しくなった。エイ、ヤ―と纏めて、それらしい総括を企てた。読み直してみたら、飛躍の余白が活きて、存外よく書けていた。シメシメ。
 要は、不適合な逸話の扱い損ねの偶発的な産物である。批評の神様も、偶々ものした一文に思い入れを込めるあまり、少々褒め過ぎている。閑長は、こう管見し妄想する。

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