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閑長のひとり言

閑長のひとり言

如是 恁麼 異没

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 毎朝、健康維持のためウォーキングをしている。負荷のため坂道ダッシュを三本組み込んでいるが、坂を上り終わった丘の上の教会に、マタイ11章28節が掲示されている。「凡て勞する者 重荷を負ふ者、われに來れ。われ汝らを休ません」という一文である。
 今朝、いつものように黙読して、ふと聖書とニーチェの「ツァラトゥストラはこう語った」との類似を思った。大衆に贈り物をしたいというツァラトゥストラに老聖者が、「彼らには何も与えるな。むしろ彼らと共に荷を担ってやるとよい」と返す一節が想起されたからである。
 既に先人が指摘しているに違いないが、「ツァラトゥストラはこう語った」は福音書と似ている。各地を逍遥する、詩人であり預言者でもあるツァラトゥストラは、主イエス・キリストの現し身というべき存在である。だから、神の身の上を語ったのである。
 
 ツァラトゥストラは”神は死んだ”と喝破した。もしツァラトゥストラが今、神にまつわる言辞を垂れるとしたら、なんと言うだろうか。

 神は蘇り、再び死んだ 
 神は電荷であ。それは点滅している
 神は造られ、リサイクルする
 誰も神など振り向かぬ 
 神はどこかにいる。だが、その場所は誰にも告げず、誰も知らぬ。

 ニーチェの直感と形象をもってすれば、令和の時代に相応しい神の像を示しただろう。してみると、“ 神は時代に表象される・・”も候補の一つとなるかもしれない。

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