光悦考
なぜか光悦が好きになれずにいる。勤め人だったころ、僭越にも「光悦はなぜか合わない」と三分間スピーチかなにかでしゃべったことがある。その時、同じ仲間として土門拳しか挙げられなかったが、近頃よんだ陶器に関するの本で、心強い援軍を二人も見出した。
谷川徹三 「長次郎と比較すると(光悦は)わざとらしさが目立つものが多い」
北大路魯山人 「気品を漂わしつつ匠気を横溢させている」
付け加える言葉がない位、よく代弁してくださっている。魯山人は「もとより下品な匠気ではないが」と続けているが、下品でないとしても上品とも言い兼ねるように思う。才気が先走り、情念が遅れている。光悦の盟友 宗達の思いはどうだったのだろうか。凸と凹ではないが、質朴恬淡の士であったため、光悦と反りが合ったように思われる。光悦考ではじめたが、宗達考になってしまった。天心に問われて「宗達を好む」と応えた紫紅と同じく、俵屋宗達は閑長の最も敬愛する画家のひとりである。