肉筆と肉眼
テレビで見る映画は映画ではないといったのは池波正太郎である。池上は、映画館で観て感動した映画を、テレビで再度観るのは良しとした。そりゃそうだろう。でなければ当人だって不自由した筈ある。
その口真似をするなら、図録で観る絵は絵ではない、と閑長は申し上げたい。もちろん続けて、美術館で観て感動した絵を図録で観るのは、推奨したい。
倉敷の大原美術館でルオーの「青い鼻の道化師」を観たとき、道化師のまなざしに射竦まれた。同館のピカソの「頭蓋骨のある静物」は、牛の頭蓋骨の鼻筋がブロンズのように屹立して迫ってきた。後で図録をみても、感銘は蘇ったが、同じ印象には程遠かった。
東京国立博物館の渡辺崋山「鷹見泉石像」の前では、作品の気高さに足が止まった。モデル泉石と崋山の精神性の両方が立ち昇っている印象だった。以来図版で観るたびに、十数年前の出会いを反芻している。
名画の鑑賞には、時空の共有が必須である。