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閑長のひとり言

閑長のひとり言

白の余韻

 日本画は余白の美で映え、余白で魅せている。空白であるが、「空っぽ」ではない。
 絵画の余白を思うと、ことばと沈黙との関係を想起する。ことば、とりわけ文学作品は行間の沈黙でも語っている。陰と陽のように支え、補っている。絵でも詩でも余白は、余情の鼓動する場所になっている。

 余白で想起するものがもう一つある。飛躍めくが、長野の里山や岡、丘、阜、川、谷、池、沼。その存在で、住まいとなる空間は狭まれますが、生業や資源の供給の場となっている。土地の“余白 ”が、生活を支えてくれている。そればかりか丘、川、池、沼など、地理の余白が、古里しなのの豊かな情緒の母胎となっている。

 ポエジーの余白、芸術の余韻。その喚起力に魅かれる。閑長はそんな風に思っている

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 「あまりに薄いナイフでも」上田暁子