限界ありて
数学は中学時代は得意科目、高校生になってからは敬遠科目となった。つまり幾何好きの、代数嫌いだった。
補助線好きで、それが幾何好きの理由の一つだった。余計な補助線は邪推に繋がると後でわかった。
数学に、自乗すると-1になる想像上の数字、虚数がある。
ルート-1は、i(アイ)という。想像といっても、今日では必須の数で、量子力学を介して携帯やパソコンなどの現代文明を支えているという。
この虚数という存在、数式の自由度であるとともに、限界といえるのかもしれない。
つまり、もし神の数、神の数式があって、それで数学を記述できれば虚数というテクニックは必要なくなるのかもしれない。神の世界では、数学は飛躍的に進歩、というより、未解決問題はなくなるのだろう。
ことばも似ていると思う。
たとえば、かわいいと愛らしいの中間の言葉はない。
神の言葉と神の文法がもしあれば、どんな微細な細密な表現でも可能だろう。
表現し尽くせる世界では、誤読や誤解はないのかもしれない。
謂應せて何か有
謂應せ得ず 故にことばあり
丸山雅秋「存在ー関係」