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閑長のひとり言

閑長のひとり言

閑長の一度かぎりの夢

 小林秀雄の「ゴルフの名人」という短篇は、全集はもちろんいくつもの文庫に載っている。四ページくらいだから直ぐに読める。ゴルフの名人と自称する男とのやりとりをまとめたものだが、いま、あらましを書こうとすると、簡単にまとめられず当惑する。全文を紹介するのと違わなくなってしまう。長文の方がずっとまとめやすい。長文はちいさな出来事を端折れるけれど、随筆はさりげない言葉が大切になる。

 小林は叔父の紹介で、ゴルフの指南書を出版したいという初老の男と会う。男はアメリカ帰りのゴルフの名人。  
 二人は初対面で意気投合する。原稿をひと月ほど預かって読んだ小林は、文章に「フィーリングがない」から出版は無理だ、と言い渡す。この「フィーリング」という言葉、文中に六回も使われている。このためこの作は、芸道の心得を書いたものとばかりずっと思っていた。今回再読すると、違う意図が感じられる。文中に「人生夢の如し」が三回使われていて、これを語りたかったように思える。このエッセイ、焦点が二つ、あるいはそれ以上あるのかもしれない。多焦点の抽象画に似ている。

 小林秀雄は自分の文章の書き方として、最初にある角度から書き始め、次にまったく違う方向から書き続ける、と語っている。若いころは意図してそうしたてきたが、やがて自然に出来るようになった続けている。読んでいてサイコロやサッカーボールのような多面体をイメージした。この話、さり気なく全集のどこかに収録されている。読んだ当時、とても印象に残り、それじゃ難解なのも無理ないと感じたが、長文の話だろうと思っていた。

 さて「ゴルフの名人」では、「フィーリングがない」といわれた名人は即座に納得して、二人は機嫌よく分かれる。 
 数ヵ月後、小林がその名人の消息を叔父に聞くと、先日死んだ、と告げられる。その後小林は、何かにつけてこの名人を思い出すようになる。「何かにつけて」が使われるのは、最後の一度だけである。

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