閑長の妄想
その内、文芸作品の翻訳にチャレンジしたいと思っている。全文は無理なので、今までに翻訳され、よく知られた作品の、胆(きも)、の文とかセリフの翻訳。いくつか拙訳をご披露したい。
まずはハードボイルド小説の聖典「赤い(血の)収穫」の一節。
原文は
At forty、I could get along on gin as a substitute for sleep 、but not comfortable.
拙訳は、
「四十(しじゅう)になった今でもジンを睡眠代わりにできるこの俺だが、絶好調というわけにはいかない」
このセンテンス、ハードボイルドの精髄と勝手に信じ込んでいる。実にシビレる・・
次は、世界十大小説の一つ「白鯨」の書き出し。10種類くらいの翻訳があるようだが、いくつか書き出してみると
〇 まかりいでたのはイシュメールと申す風来坊だ。
〇 わたしのことはイシミアルと呼んでもらいたい。
〇 私の名はイシュメイルとしておこう。
因みに原文は Call me Ishmael. 私は「俺だったらイシュメールと呼んでくれ」と訳したくなる。投げやりで荒んだ感じと、他人目線への意識を込めている。
ともあれ、この三文字で、彼が偽名を使っており、宿無しの無頼漢であることが表現されている、という。因みにイシュメールは旧約聖書に出てくるアブラハムの子で、キリスト教徒であれば無頼のキャラクターが思い浮かぶ人物だそうである。
キーとなる文の翻訳には、作家の思いや作品のテイストを汲み取ることが大切。
いい翻訳は、そのセンテンスの持つ必然性まで伝える訳・・
などと閑に任せて妄想している。