miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

絵画鑑賞

リアルと神秘 実在と本質

岸田劉生は浮世畫の特徴を「『浮き世』に對する深いリアリズム」と言っている。 画家としての自己を写実的神秘派と称している。 してみると劉生の絵の解釈には、リアルと写実の向う側を見る目が必要と思う。 透徹した目を持たない閑長は、せめて劉生画を見続…

子は鎹

この絵を観て、和田三造の「南風」を連想した。 両方とも、半裸の海の男を描く画面の右に、男の子が一人描かれている。この男の子は画面構成上、不可欠のモチィーフに思える。 人物の集合画で子供の姿は、人数や大きさに関わらず、絵を引き締める要素とみえ…

描いてかき尽くす

熊谷守一はデッサンを「色を描くのではなく、光を描くのだよ」と語ったという。近藤啓太郎が書いている。 光が描けたら、味、匂い、音、と際限なく続くのだろうか。 けっきょく自然と、自然の中の存在そのものを、丸ごと描くことになる気がする。

眼は口ほどに・・

美人画、特に日本画の美人画は、体の撓り、襟元の懐、指の形態、眼のニュアンスが大切と思っている。 眼についていえば、手を抜かずとも、画力が衰えると、決まって少女漫画野ようになる。 簡単に情緒めいて描けるから・・ そんな作品が巷に少なくない。眼を…

訥言と一念

眼疾により盲目となった画家二人の話である。 田中訥言は江戸時代後期の絵師である。閑長は名古屋市博物館の加藤清正像が贔屓である。復古大和絵の祖として知られるが、視力を失ったため舌を噛んで命を絶ったと伝えられる。享年57。訥言とは、たどたどしい物…

もしかして・・・

源氏物語に登場する六条御息所の生霊を描いた上村松園の「焔」(ほのお)は、同氏の代表作の一つとして東京国立博物館に所蔵されている。絵には、蜘蛛の巣の柄の着物をまとった六条御息所が、長い黒髪を口に咥え、恨めしそうに振り向く姿が描かれている。背…

ティッツアーノとレンブラント

画家は没年に関係なく、描くべき作品を描き尽くた、というのが持論である。早逝と長命に関わらず、である。 べつの物差しで、傍から見て、恵まれていたか、山谷があったか、というと対照的なのが、タイトルの二人の画家である。 片や名声と長寿に恵まれ(ペス…

るす模様としての道

少し前に、キリストの後ろ姿を描いた絵を観てみたいが、そんな絵を観たことがないと投稿した。今も変わりがないのだが、最近、美術書を眺めていて、「こんにちは、クールベさん」がそれに近いように感じた。ギュスターヴ・クールベの代表作にして意欲作であ…

アースとアートの相互関係

ついさっきのこと、背中で聞いていたテレビで、自閉症の子らを対象とした遊園地を紹介したNHKニュースが「自閉症の子はアースカラーを好むため、遊具に茶色や緑を多用している・・」とアナウンスしてい、振り返ってしかと観た。朝八時ころのことである。背中…

大観力

閑長が横山大観の画に求めるのは、ち密さでも繊細さではなく、描写力でもない。では品格か、画境かと聞かれれば、そればかりでもない。 「老子」の顔貌や「風蕭々兮易水寒」の犬の四肢にみえる、大観にしかものせぬ表現の世界である。この世界は、俗に良い大…

後ろ姿のキリスト

ピエロ・デ・ラ・フランチェスカはキリストを仰視した アンドレア・マンテーニャは横臥するキリストを足の裏から描いた 同じく横臥のキリストを真横から描いてみせたハンス・ホルバイン 十字架のキリストを天空から描写したサルバドール・ダリ 古来、様々な…

好きな油彩画ベスト3

「サン・レミの風景」フィンセント・ファン・ゴッホ 「トランプをする人」ポール・セザンヌ 「壺の上に林檎が載って在る」岸田劉生 文学と同じく5点挙げようと思ったが、3点に留まった。 著名画の中から選んだ。 「サン・レミの風景」は不安定感と不確かさ…

ナナメ鑑賞の歓び

絵肌と訳されるマチエールは、線や色とちがって画集ではわかりにくい。三次元のモノを二次元で表現するには、斜めにしなければならず側面と裏面ができる。正面は正面でなくなる。 近頃観た一枚の絵は、見知りの絵であったがマチエールの素晴らしさに嘆息した…

ラファエロの微苦笑-ラファエロ前派

素人の管見であるが、ラファエル前派は、技法や作品の特徴、思想的な集団というより、ネーミングとスローガンの方が先行してみえる。もしも彼らが秘密結社的に「P.R.B.」こと「Pre-Raphaelite Brotherhood」と自称し、当時の美術界の体制に敢然と挑みかから…

写のみち様々

写実絵画を特集した番組で野田弘志が、「今、写実画を描けというのは、貧乏になれというようなもの」と語っていて驚いた。悪写実、過細密、ワル達者・・、様々あろうが、写実であるが故に到達できないという事はありえない。フォーブもシュールもみんな好き…

幻想の日本美術館巡り

西洋美術館に続けて国内美術館の場合。 一日だったら、大原美術館 一週間だったら、足立美術館 一か月だったら、大川美術館と梅野記念絵画館と宮城県立美術館。途中ホキ美術館を経由。 国内の所要旅行時間を含めた時間。大原美術館と梅野記念絵画館以外は耳…

マックイーンとブリンナー

映画「荒野の七人」で、ユル・ブリンナーの相棒として出演していながら、そのプリンナーを食ったマックイーンの演技がちょいちょい取り沙汰される。ピカイチは冒頭の霊柩馬車を運ぶシーン。散弾銃に弾を込める時、耳元で弾が湿気っていないか弾の音を確認し…

でっかいお姉さん、子供の目線

シャルダンの「買い物帰りの女中」を、画集で初めて観た印象は「でっかいお姉さんだなぁ」だった。特に下半身がデカイく、スカートがやけに巨大に思えた。本画は高だか長辺47㎝の8号大の作品である。 以来、この小学生の頃の第一印象を長く引き摺って来たの…

幻想の西洋美術館巡り

一日だったら、ブレラ絵画館かコンデ美術館 一週間だったら、ロンドン・ナショナル・ギャラリーかニューヨーク近代美術館 一か月だったら、メトロポリタン美術館 名立たる世界の美術館。すべて書物での知識。

青い空、茶の大地

シュールの前衛画家といわれる古沢岩美は、「日本のダリ」と称されたという。偶々観ていた古沢岩美のエッセイ集に書いてあった。画題とモチーフ、それにド肝を抜く描きっぷりが似ているという。 「日本のダリ」といえば、岸田劉生の「道路と土手と塀」(切通…

絵画と時間

社会学者のゲオルグ・ジンメルは、廃墟を“人間と自然との合作”と言ったらしい。テレビで観た放送大学の受け売りである。 ジンメルの顰に倣えば、額装の絵画は画家と額職人との合作と言えるのかもしれない。 「ひととき」は態々Worn-outした額と交換して、“ …

キャバス、本紙の裏っ側

美術評論家安井収蔵の著作を読んで、以前読んだ黒川博行の「蒼煌」を思い出した。芸術院会員選の人間模様を描いている。絵画でも音楽でも芸能でも、絶対的な基準のない世界は、忖度や気配り、追従と迎合と無縁ではないのだろう。それが行き過ぎることもない…

王昭君のこころ

菱田春草の重要文化財「王昭君」は、幅3m70㎝の大作である。 この作品は左右二幕で成り立っている。右幕の女官たちの図は哀切と同情、軽侮に指弾、さらには傍観が入り混じった女の世界である。先頭にはざわつく女官を窘める年嵩の女官が描かれる。 左幕には…

花をのみ待つらん人に

4年ほど前、飯田美術博物館で菱田春草の「菊慈童」を観て、絶句した。平面作品とは思えない奥行きと大気感、湿気感があった。これが絵としたら、今まで見てきた絵はいったい何だったのか、大袈裟でなく、そうまで思った。 その飯田美博で今、没後110年の菱…

寸秒の世界

「美は一瞥できまる」『美の狩人』 藝林 梅野隆氏の言。 「1年かけて描いた絵も、見極めるには一秒とかからない」 敬愛する丸田隆則画伯の忘れられない一言。 「20㎝のデッサンで、その画家の腕がわかる」こちらは鬼才 梅野亮画伯の至言。 どれも画家自身の…

光悦と宗達

鶴下絵三十六歌仙和歌巻 俵屋宗達画、本阿弥光悦書の重要文化財である。冒頭、柿本人麿の人の字が脱落して、横に添え書きしているが、閑長にはデザイン性を考えたわざわざの加筆に見える。「みせ消ち」という言葉があるが、“見せ脱字”の例と思うのである。本…

雨を描く 雨の日を描く

浮世絵師安藤広重の描く雨の図は、雨脚を平行線で描いて、雨が放つ光を対角線で描いている。 このパターン化で雨の強弱と風までみえて面白い。 洋画家山本弘の「秋雨」は、青と茶二色の使い分けで、雨の日の気分まで描いている。 一本だけ引かれた水平の雨が…

観者と作品

一人を描いた作品はダイアローグ的。 二人を描いた作品はモノローグ的。 やはり、観者である自分を離れて鑑賞できない。 絵画の不完全性定理。池田輝「無題」F30 (シルエット二人) 〃 「一人」F100

窓と窓の向う側

早逝の洋画家小松良和の作品には “ 片身代り ” 的『構造』がみえる。画家が片身代りで表現したものは、不可視的なもの、あるいは存在と隣り合う非在的なものへの憧憬と思う。本稿では、昨日のフェイスブックでは書き尽くせなかった印象を書きたい。 画家の描…

神々の競演

ダナエ、ユデツト、レクリティウス、パテシバ、エウロペ、思いつくまま書き出してみた。聖書と神話の女性主人公であり、西洋絵画の画題である。彼女らの役柄と登場シーンが判ると、絵の意味がすっと通る。 同じ主題の作品を画家ごとに見比べると興味深い。画…