miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

色褪せない標的

東京で学生をしていた頃、行きつけの床屋の店主に「ゴルゴ13」を書いているのはさいとうたかをじゃないョ・・と聞いて仰天した記憶がある。 デューク東郷ゴルゴ13の貌は、閑長の見る限り、5、6回変わっている。当初の貸本顔から劇画顔を経て、中年太って、ノ…

カンマと小数点

“小数点”が打たれる位置、その有るナシは、数字としての大小に大きくかかわるが、“カンマ”は有ってもなくても数字の大小には別段関係がない。小数点は数学記号だが、カンマは文化記号といえる。丸い小点に“跳ね”のあるなしで、意味は大きく異なるのである。 …

時代とスペル合うと

大昔、外国為替の仕事をしていたころ、アルファベットをそれぞれ別の単語に言い替えることを教えられた。ビーとか、デーとか、似た音の聞き間違いを防止するためである。Aはアメリカ、Bはボストン、Cはカナダ、Dはデンマーク等々といった。こういう言い替え…

観者と作品

一人を描いた作品はダイアローグ的。 二人を描いた作品はモノローグ的。 やはり、観者である自分を離れて鑑賞できない。 絵画の不完全性定理。池田輝「無題」F30 (シルエット二人) 〃 「一人」F100

地獄、それは・・

サルトルの言葉と記憶していたのが、「地獄とは他人だ」と「他人とは地獄だ」のサテどちらだったか・・。 ネットで調べたら前者だった。出典は主著の一つ「存在と無」という。 人は、自分の価値や存在が、常に他人の目に晒され、判定されている。サルトルは…

脳が痒い

今夏に受けた脳ドックで “ 頭頂葉に1㎝大の腫瘍の疑い有 ” となって、精密検査を受けた。以来、妙に脳が気になり始めた。脳が他者となった。 自分との対話と脳との対話の違いは、口述も筆記も自分なのか、口述は脳で筆記だけ自分なのか、という違いだと思う…

みつめる額

ヤクルト古田敦の盗塁阻止は球界一という。古田はランナーの眼を観て送球し、アウトにしたという。先制して目で動きを牽制し、竦ませたものか。 古田は言っていなかったが、閑長は眼ではなく額で見つめる、睨む、という事があると思っている。額の代わりに、…

眼差しの先

徳利は首すじを眺め、杯は見込みをみつめる。 渦巻き模様の見込みは深酔いしそうで好まない。 色も酒の大切な味である。濃色の杯はつまらない。 何でもないような無地、無文様の薄めの色だと飽きがこない。※見込みは杯の内側、映像はネットで出会いました。

うなじの傾き

杯は見込みをみつめ、徳利は首すじを眺める。 呑む前からほろ酔い加減に見える徳利があって愛おしい。 酔ってもシャンとして見える徳利があって天晴である。 腰が据わって不愛想な徳利は相棒にうってつけである。映「酒杯・徳利 1000」から

酒と刀と

「笹の露」の愛称のある日本酒と、「秋水」の美称をもつ日本刀とは妙に通じ合っている。戦国の刀に「笹の露」の異名をもつ利刀がある。触れれば命が落ちる。 美濃に雑味を除き尽くして水のごとき酒「三千盛」がある。越後には「上善如水」という酒がある。山…

負い目と引け目

「ある文章のある文に当てはまる言葉は、たった一つしかない」と、ポール・ヴァレリーと谷崎潤一郎、東西の文豪二人が、語ったか書いていたと記憶する。 「うとうと・うつらうつら」に引き続き、「負い目・引け目」の比較を試みたい。前回に引き続きこちらも…

模擬儀式

季節外れの話題で恐縮だけれど、ひな祭りは結婚式のミニチュア、代替リハーサルと思っている。この見立ては父の受け売りである。父は初孫のひな祭りにそう語り、「本当の結婚式までは命がもたないものだから、昔の人が作ったんだろう」と続けた。 その父が没…

同銘よしあし

昔どこかで、刀と脇差は、同銘作を合さないもの・・と聞いた記憶がある。正宗なら吉光とペアにし、正宗と正宗の大小の取り合わせにしない、という意味である。いま、投稿するにあたってネットで調べたが、理由はおろか同旨の記事が見当たらなかった。あれは…

偏在する危機

罹患率が、国民の二人に一人といっても、二人に一人は罹患しない。今すぐの罹患もあり得ない。 発生率が30年以内に70%といっても、30%は起こらないという事ではなく、いつか必ず起こる。それは今かもしれない。 確率の数字だけでは表現し切れない意味…

匂いの記憶

小学一年生の最初の一日、一時間目は音楽で、二時間目は国語だった。 音楽で最初に習った歌は、校歌だったと思う。 最初の国語の授業では、担任の女の先生が、教科書をなでてみなさい、と言い、 続いて、匂いを嗅いでみなさい、どんな匂がしますか? と質問…

強大な視野と頭脳

豪傑の名にふさわしい大学者の一人に今西錦司がいる。民俗学のレヴィ・ストロースに比肩しうると思う。 今西錦司の主著の一つ「生物の世界」は学術論文並みに難解である。その視座は、生物界の構造から歴史、環境、社会にまで及び、フツーの講談社文庫の一冊…

賽はこれから投げられる・・

モンティ・ホール問題は、モンティ・ホールが司会を務めるショー番組で出された、三択をネタにした確率問題である。詳しくは、ネット検索でご閲覧頂きたいのだが、要は、三択問題を、「一枝」と、「二枝」のグループに分けて二択にし、どっちを選ぶかという…

偶然と純粋

芸術の品格の尺度を「制作の純粋性と成果の偶然性」とし「火の神の思し召しである焼き物」をもって「最も品格の高い芸術」と言ったのは、たしかポール・ヴァレリーだった。 その伝でいけば、焼入れをもって完成させる日本刀の品格も同じように称揚されていい…

数の召命

ゴットフレイ・ハロルド・ハーディは20世紀初頭のケンブリッジの数学者で、閑長の贔屓である。電話や時計嫌いのところに惹かれてします。彼の自伝的著書はもちろん、解りもしないのシュプリンガーの数論の著作二冊を架蔵している。 そのG.H.ハーディが数学…

時間と逆比例

時間と曲比例※「存在と時間」の“時間”は本来の時間ではなく、世界、世間、他人、事物の代名詞のように思う。そんなハイデッガーの書きっぷりである。 ことほど左様に、哲学上の時間は、時間という名称で代表する哲学的問題は実に多いように思う。だから古今…

70年の暑い日々

70年代のハリウッド映画は「太陽」がちがう。俳優の額には汗が光る。 時代の熱さを映じている。デジタル前の粒子の粗い画面が映える。

老いの寝覚め

意味はほとんど同じで、少しだけ用例やニュアンスが異なる言葉は多いが、その選択は適切かつ的確に行いたい、と云うのが閑長の持論である。 そこで、森田善行先生の「基礎日本語辞典」の向こうを張って、似た言葉の違いを掘り下げてみる。 宿酔いの頭が直観…

太初にこれだけ・・

大江健三郎が読む聖書は、明治元訳から新共同訳、岩波訳まで様々という。「作家自身を語る」ではそれぞれ良訳のようなコメントで、贔屓の訳はわからない。通読したことはなく、信者でもない者が口を出すのは烏滸がましいが、閑長は大正改訳の文語訳と、1954…

秋空

はてなの投稿、ボケ防止と老いの小言のために始めたブログである。10年くらいは簡単に書き続けられると思っていたが、1年経ってみると覚束ない。もっとも投下する時間が毎日15分程度だから、偉そうには言えない。取り敢えず数では徒然草の244段を越したと思…

言葉の導き

ノーベル賞の賞金で書庫用の山荘を建てたという大江健三郎の、蔵書の1/20は辞書だという。総蔵書数を一万冊としても500冊が辞書なのだから、日本語だけでなく英、仏語等、各国語を含むとしても膨大である。孫が作家になりたいと言ったら辞書を遺す、とも語っ…

無の筈なのに

西田哲学で一番知られた述語は「無」であろう。 しかし、この「無」が随分とあちこちに出張ってきては取り仕切る。 そのうえ西田は「絶対無」などという無のヒエラルキーまで担ぎ出す。 柳宗悦の「民藝」がいつしかピカピカに格上げになった状況を思わせる。…

寸感

ある著名なドイツの思想家が、20世紀の真の哲学者はハイデッガーと西田幾多郎だけだと言ったらしい。詳細は失念したが、読んでどちらもハイデッガー語と西田語で書かれているところは共通と思った。 さて今日は西田哲学である。敬愛する論理学者 末木剛博は…

車は生きざま

閑長はハードトップ好きのファストバック嫌いである。 久々マックイーンの「ブリット」を観て、マスタングがファストバックでがっかりした。過去に何度も観て、知っていた筈なのだが、忘却していた。 ファストバックは走りに構えすぎている。実車的なリアリ…

クオークのウォーク

イギリス東部の「サットン・フー遺跡」は、近くに住むマディス・プリティというごく普通のご婦人の「古代の兵士が歩く姿を見た」という証言が発端で、発掘が始まったという。1939年の事らしい。この遺跡、イギリス有数の考古遺跡で、「サットン・フーの兜」…

読むか読まぬか

藤井二冠の竜王挑戦が決まって、初戦は来月8日という。 最早、以前のように豊島竜王を苦手としなくなった藤井二冠だが、竜王戦の持ち時間は8時間と長い。読み過ぎの将棋指しが、相手が角道を開けただけの初手に「負けました」と応じる、そんな落語があった。…