miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

劉生節

岸田劉生は『初期肉筆浮世絵』を書いて、肉筆の浮世絵を “ 濃い美 ” “ 苦い美 ” “ 卑近美 ” など、劉生的な切り口で語っている。語り口は一刀両断である。例えば北斎は「いいところもあるが覇気が強く、意志が見えすぎるので長い鑑賞には堪えない」と処断す…

事実は真実ならず

「万国の万国に対する、宣戦布告のない交戦状態が国際関係である」 閑長の座右の言葉である。原典を読みたくなってアリストテレスの『法律』を探したがなかった。アリストテレスの著作に『法律』がなった。結局プラトンの同名書の中に見つけて安堵したのだが…

再現と詩作

彫塑家川村吾蔵のマックアーサー像は、吾蔵の遺作であると共に傑作のひとつと思う。やや持ち上げ心地の右腕で、元帥は突撃指令を出しているのか、軍旗を支えているのか。作品の持つニュアンスは豊かである。 アリストテレスは「詩学」で、模倣の先に詩があり…

「感覚に直接与えられたものについての試論」

少しでもジェンダーが絡むと失言の指弾を受け兼ねない昨今である。閑長もよく家人に暴走を戒められる。だが女流の魅力を語るなら、なにも心配なかろう。 詩と絵画、この両分野において閑長は、女流のファンであり、詩においては女流一辺倒に近い贔屓である。…

届く訥弁

春の地方・国政選挙が各地で行われ、自民党の敗北が相次いだ。閑長の地元でも補選が行われ、訥弁の野党候補が当選した。自民候補の政見演説は、そつがなかったが、中身もないように聞こえた。弁舌が流ちょうな分、空疎空論が目立った。野党候補の演説も大差…

彼岸を描く絵

ジャクソン・ポロックの墓石をみていて、ポロックの描く ” ドロップ ” に似ていると思った。 当時にフト、絵には対象の此岸を描いた絵と、彼岸を描いた絵があると思いついた。 此岸と彼岸、表層に裏層、実像や虚像、外面に対する内面 リアリズム絵画は、極写…

詩魂

詩魂という言葉は辞書で引いても載っていないが、安東次男と寺山修司の詩作と鑑賞眼は、この語でしか言い表せない。鍛錬や習熟、歳月や年季では達せられない深さがある。生得のものと思う。 以前からそう思っていたのだが、近頃安東の「与謝蕪村」を読んでい…

追想を追憶して・・

何度見てもバーグマン、プリンナーの「追想」はよい。ヘレン・ヘイズの「追想」といった方が良いかもしれない。 バーグマン、プリンナーが恋に落ちるところの伏線不足も、夾雑物のない一直線のストーリー展開に役立っているように思えてしまう。先日、BSで…

私、ことば、世界

「私がいないところ、自然は不毛である」 “Where man is not, nature is barren.”ブレイクの詩「The Tyger」の詩句である。キーツの詩だと思っていたら、ブレイクだった。「私の言葉の限界が、私の世界の限界である」 “Grenzen meiner Sprache bedeuteh die …

お閑な素数

自然数57は「グロタンディーク素数」と呼ばれる。もちろん57は素数ではないが( 3 × 19 = 57 )、グロタンディークが講義の際、誤って57を素数の例として挙げたことから特別に素数扱いされている。講義を聞いていたのは数学科の俊英ばかりだから、あれれ・・?…

無の作為 民の権勢

柳宗悦の民藝は“民”の水準を超えて、あたらしい原理になってしまった。 西田幾多郎の無は、「無」というには随分としゃしゃり出て、仕切り出した。 絵から作為を除こうと努めた画家がいて、齢九十近くになった作品は形態も関係性もみえてこない。漠然とした…

年輪を刻んで

「名刀に小疵あり」と云われる。閑長ならこう云い直す。 「伝来あるところ名刀あり、伝来あるところ、疵また生ず」 国宝「石田正宗」

描き過ぎと偏愛

レオナルド・ダビンチは「モナリザ」を終生、加筆したという。そのエピソードが画聖にして万能の天才レオナルドの声望と「モナリザ」の神格性を一層高めているようにみえる。 けれども普通は、加筆した絵、少なくとも加筆が過ぎた作品に名作はないと思う。描…

ヘタうま ワル達者

浜田庄司は、ホンの数秒で済ます焼き物の絵付けを「数秒と数十年かけて描いている」と語ったという。 サッと上手に描ける画家さんがいるけれど、サッと描いたことが判ってしまう絵はそれきりである。閑長はそういう作品を、ワル達者な絵と呼んでいる。時を重…

松葉散らしの絵

五線譜に松葉を散らしたような図形は「ビュフォンの針」という数学問題である。 18世紀、博物学者ジョルジュ・ビュフォンが提起した。多数の平行線を引き、そこに針を落すならば、どれかの線と針が交差する確率はどのようになるかという問題で、線の幅と針の…

てんぴん

大谷翔平の“ショー”タイム!は、最早日米をこえてワールドワイドな現象である。投打にわたる活躍という言葉を高校野球からメジャーにまで拡大した。まさに野球の申し子である。 将棋の羽生九段が通算100タイトルを前に足踏みをしている。最高位竜王タイトル…

せいちょうぶし

松本清張の好きな短篇小説は「真贋」と「笛壺」である。好きが嵩じて初出の「文藝春秋」まで蒐めてしまった。好きに理由はないけれど、主人公の共通点は、すぐに浮かぶ。 ・研究者等の専門職種 ・中高年 ・不運な境遇 ・恵まれない女性運 ・悲劇的な結末 な…

ぼつ、ぼつ・・

以前、没後50年の画家さんの展覧会を企画・開催したことがあった。死後に作品を遺したアーチィストは、死して尚、世間に訴える手立てを持っている。展覧会を準備しつつ、“ 何時また再評価されないとも限らない、画家さん、安気に眠ってはいられませんヨ ”・…

開高健と「等伯画説」

自己中鑑賞者の閑長は、「“しん”としている」か「騒々しい」か、を絵の判定基準としている。「“しん”としている」絵を愛好し、「騒々しい」絵は、評判が高くても敬遠している。端的に言うと好まない。“しん”は、閑かという意味だけなく深く、強い美を意識し…

二階・入り子構造 

「不思議の国の信州人」という本が七つの信州人のタイプを挙げている。仰る通り信州人は地域ごとに結構異なり、人括りにできない幅を持っている。土地が南北に長く、山、谷、峠、川などで仕切られるという物理的な環境があること、それと、古くからの伝統、…

爺ぃの時事問題

秋篠宮真子様の婚約者小室圭氏が文書を公開し、しきりに「借金でない」と主張しているが、問題はそこではない。借用書がなく、貸した・借りたと言っていないのだから、借金ではないことは明々白々で、小室氏は安全圏で空論を並べている。 論点は母親の元婚約…

阿修羅とカラヴァッジョ

有名な阿修羅像、この仏様は、飽きがくる思う。興福寺の阿修羅像の復元番組をみていて、初めて気付いた。 世阿弥の顰にならえば、描き尽くせば伝え尽くす。 阿修羅様、造形が思念を追い越してはならぬのでは・・カラヴァッジョが描く絵は、ドラマチックだが…

流れの涯

方丈記は書き出しが有名だが、終りが良い。 迷いと諦念が記されている最終段があるから、方丈記は余韻をもって完結する。 その時、心さらに答ふることなし ただ、傍らに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ

取り合せが・・

ジョニ黒とワイルドターキー マッカランとラフロイグ 夫々呑み比べて妙味がでるゴーギャンとシスレー 泉鏡花と三島由紀夫 お茶漬けと牛タン 取り合わせてこそ・・マズイ、まだ昨夜の七面鳥が残っている

我流月旦

不満のあおり 善意のかこつけ 間もたせの誘導尋問 時間調整のジェスチャー 先鋭を振りかざした保身 担当にならない者の放言 体制批判によるネタ枯れ隠ぺい偏狭なる閑長による我がまま月旦、ワイドシューコメンテイターの段である。 それなら観るな、とのご叱…

美は真であり、真は美である

Beauty is truce, truce beauty, イギリスの詩人キーツの「ギリシャの壺のオード」の一節である。四竃公子の「枯れていくひまわり」という絵を観て、この一節を実感した。 咲き誇るひまわりでなく、時間を背負って枯れつつあるひまわりにも、言い知れぬ美が…

冒険の相棒は・・

SEIKO セイコー 6105-8110 セカンドダイバー、別名植村モデルは、冒険家植村直己が北極探検に使用した時計として、コレクションアイテムである。こだわりが身上のマニア諸氏はさらに、植村が何年のどの時期のモデルを使ったか、にこだわる。巷間言われている…

とうもんのどうもん

辛坊治郎、鴻上尚史、いとうせいこう、町山智浩四氏の、それぞれの分野でご活躍、同慶の至りである。 さてこの四氏と閑長とは、大学学部の同門で、期間の長短はあるが、在学期間が重なっている。生協食堂で120円の“カレー生野菜”を隣り合って食った可能性が…

加齢とオッカム

書籍の分野によって文体や表現に違いや特徴があるのか。結論を言うととそういうことなのだが、そんな思いに駆られたのは、神学の本を読んでいた時だった。キリスト教の聖者の最期で、「石打ちの刑によって殉教の死を遂げた」とあって、こんな文章が続くのか…

“逆”説的表出

ウィリアム・ブレイクの「地獄と天国の結婚」は逆説の書である。 その言葉は思考を活性させる。 「コントラリーがなければ、進歩がない。人間には、魅力と反発、理性とエネルギー、愛と憎しみが必要である」表現は挑発的で逆説的である。 「過剰の道は知恵の…