2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧
岸田劉生は『初期肉筆浮世絵』を書いて、肉筆の浮世絵を “ 濃い美 ” “ 苦い美 ” “ 卑近美 ” など、劉生的な切り口で語っている。語り口は一刀両断である。例えば北斎は「いいところもあるが覇気が強く、意志が見えすぎるので長い鑑賞には堪えない」と処断す…
「万国の万国に対する、宣戦布告のない交戦状態が国際関係である」 閑長の座右の言葉である。原典を読みたくなってアリストテレスの『法律』を探したがなかった。アリストテレスの著作に『法律』がなった。結局プラトンの同名書の中に見つけて安堵したのだが…
彫塑家川村吾蔵のマックアーサー像は、吾蔵の遺作であると共に傑作のひとつと思う。やや持ち上げ心地の右腕で、元帥は突撃指令を出しているのか、軍旗を支えているのか。作品の持つニュアンスは豊かである。 アリストテレスは「詩学」で、模倣の先に詩があり…
少しでもジェンダーが絡むと失言の指弾を受け兼ねない昨今である。閑長もよく家人に暴走を戒められる。だが女流の魅力を語るなら、なにも心配なかろう。 詩と絵画、この両分野において閑長は、女流のファンであり、詩においては女流一辺倒に近い贔屓である。…
春の地方・国政選挙が各地で行われ、自民党の敗北が相次いだ。閑長の地元でも補選が行われ、訥弁の野党候補が当選した。自民候補の政見演説は、そつがなかったが、中身もないように聞こえた。弁舌が流ちょうな分、空疎空論が目立った。野党候補の演説も大差…
ジャクソン・ポロックの墓石をみていて、ポロックの描く ” ドロップ ” に似ていると思った。 当時にフト、絵には対象の此岸を描いた絵と、彼岸を描いた絵があると思いついた。 此岸と彼岸、表層に裏層、実像や虚像、外面に対する内面 リアリズム絵画は、極写…
詩魂という言葉は辞書で引いても載っていないが、安東次男と寺山修司の詩作と鑑賞眼は、この語でしか言い表せない。鍛錬や習熟、歳月や年季では達せられない深さがある。生得のものと思う。 以前からそう思っていたのだが、近頃安東の「与謝蕪村」を読んでい…
何度見てもバーグマン、プリンナーの「追想」はよい。ヘレン・ヘイズの「追想」といった方が良いかもしれない。 バーグマン、プリンナーが恋に落ちるところの伏線不足も、夾雑物のない一直線のストーリー展開に役立っているように思えてしまう。先日、BSで…
「私がいないところ、自然は不毛である」 “Where man is not, nature is barren.”ブレイクの詩「The Tyger」の詩句である。キーツの詩だと思っていたら、ブレイクだった。「私の言葉の限界が、私の世界の限界である」 “Grenzen meiner Sprache bedeuteh die …
自然数57は「グロタンディーク素数」と呼ばれる。もちろん57は素数ではないが( 3 × 19 = 57 )、グロタンディークが講義の際、誤って57を素数の例として挙げたことから特別に素数扱いされている。講義を聞いていたのは数学科の俊英ばかりだから、あれれ・・?…
柳宗悦の民藝は“民”の水準を超えて、あたらしい原理になってしまった。 西田幾多郎の無は、「無」というには随分としゃしゃり出て、仕切り出した。 絵から作為を除こうと努めた画家がいて、齢九十近くになった作品は形態も関係性もみえてこない。漠然とした…
「名刀に小疵あり」と云われる。閑長ならこう云い直す。 「伝来あるところ名刀あり、伝来あるところ、疵また生ず」 国宝「石田正宗」
レオナルド・ダビンチは「モナリザ」を終生、加筆したという。そのエピソードが画聖にして万能の天才レオナルドの声望と「モナリザ」の神格性を一層高めているようにみえる。 けれども普通は、加筆した絵、少なくとも加筆が過ぎた作品に名作はないと思う。描…
浜田庄司は、ホンの数秒で済ます焼き物の絵付けを「数秒と数十年かけて描いている」と語ったという。 サッと上手に描ける画家さんがいるけれど、サッと描いたことが判ってしまう絵はそれきりである。閑長はそういう作品を、ワル達者な絵と呼んでいる。時を重…
五線譜に松葉を散らしたような図形は「ビュフォンの針」という数学問題である。 18世紀、博物学者ジョルジュ・ビュフォンが提起した。多数の平行線を引き、そこに針を落すならば、どれかの線と針が交差する確率はどのようになるかという問題で、線の幅と針の…
大谷翔平の“ショー”タイム!は、最早日米をこえてワールドワイドな現象である。投打にわたる活躍という言葉を高校野球からメジャーにまで拡大した。まさに野球の申し子である。 将棋の羽生九段が通算100タイトルを前に足踏みをしている。最高位竜王タイトル…
松本清張の好きな短篇小説は「真贋」と「笛壺」である。好きが嵩じて初出の「文藝春秋」まで蒐めてしまった。好きに理由はないけれど、主人公の共通点は、すぐに浮かぶ。 ・研究者等の専門職種 ・中高年 ・不運な境遇 ・恵まれない女性運 ・悲劇的な結末 な…
以前、没後50年の画家さんの展覧会を企画・開催したことがあった。死後に作品を遺したアーチィストは、死して尚、世間に訴える手立てを持っている。展覧会を準備しつつ、“ 何時また再評価されないとも限らない、画家さん、安気に眠ってはいられませんヨ ”・…
自己中鑑賞者の閑長は、「“しん”としている」か「騒々しい」か、を絵の判定基準としている。「“しん”としている」絵を愛好し、「騒々しい」絵は、評判が高くても敬遠している。端的に言うと好まない。“しん”は、閑かという意味だけなく深く、強い美を意識し…
「不思議の国の信州人」という本が七つの信州人のタイプを挙げている。仰る通り信州人は地域ごとに結構異なり、人括りにできない幅を持っている。土地が南北に長く、山、谷、峠、川などで仕切られるという物理的な環境があること、それと、古くからの伝統、…
秋篠宮真子様の婚約者小室圭氏が文書を公開し、しきりに「借金でない」と主張しているが、問題はそこではない。借用書がなく、貸した・借りたと言っていないのだから、借金ではないことは明々白々で、小室氏は安全圏で空論を並べている。 論点は母親の元婚約…
有名な阿修羅像、この仏様は、飽きがくる思う。興福寺の阿修羅像の復元番組をみていて、初めて気付いた。 世阿弥の顰にならえば、描き尽くせば伝え尽くす。 阿修羅様、造形が思念を追い越してはならぬのでは・・カラヴァッジョが描く絵は、ドラマチックだが…
方丈記は書き出しが有名だが、終りが良い。 迷いと諦念が記されている最終段があるから、方丈記は余韻をもって完結する。 その時、心さらに答ふることなし ただ、傍らに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ
ジョニ黒とワイルドターキー マッカランとラフロイグ 夫々呑み比べて妙味がでるゴーギャンとシスレー 泉鏡花と三島由紀夫 お茶漬けと牛タン 取り合わせてこそ・・マズイ、まだ昨夜の七面鳥が残っている
不満のあおり 善意のかこつけ 間もたせの誘導尋問 時間調整のジェスチャー 先鋭を振りかざした保身 担当にならない者の放言 体制批判によるネタ枯れ隠ぺい偏狭なる閑長による我がまま月旦、ワイドシューコメンテイターの段である。 それなら観るな、とのご叱…
Beauty is truce, truce beauty, イギリスの詩人キーツの「ギリシャの壺のオード」の一節である。四竃公子の「枯れていくひまわり」という絵を観て、この一節を実感した。 咲き誇るひまわりでなく、時間を背負って枯れつつあるひまわりにも、言い知れぬ美が…
SEIKO セイコー 6105-8110 セカンドダイバー、別名植村モデルは、冒険家植村直己が北極探検に使用した時計として、コレクションアイテムである。こだわりが身上のマニア諸氏はさらに、植村が何年のどの時期のモデルを使ったか、にこだわる。巷間言われている…
辛坊治郎、鴻上尚史、いとうせいこう、町山智浩四氏の、それぞれの分野でご活躍、同慶の至りである。 さてこの四氏と閑長とは、大学学部の同門で、期間の長短はあるが、在学期間が重なっている。生協食堂で120円の“カレー生野菜”を隣り合って食った可能性が…
書籍の分野によって文体や表現に違いや特徴があるのか。結論を言うととそういうことなのだが、そんな思いに駆られたのは、神学の本を読んでいた時だった。キリスト教の聖者の最期で、「石打ちの刑によって殉教の死を遂げた」とあって、こんな文章が続くのか…
ウィリアム・ブレイクの「地獄と天国の結婚」は逆説の書である。 その言葉は思考を活性させる。 「コントラリーがなければ、進歩がない。人間には、魅力と反発、理性とエネルギー、愛と憎しみが必要である」表現は挑発的で逆説的である。 「過剰の道は知恵の…