miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

2020-01-01から1年間の記事一覧

言葉の文様

没後50年で三島由紀夫が取上げられることが近頃多い。自衛隊突入と割腹自殺がクローズアップされるのだが、本業の小説について三島は、自身の小説のメチエ、マテリアルを人生や思想などではなく、言葉であるとしている。言い切る点はさすがに鬼才である。 「…

純粋睡眠批判

勤め始めた頃の職場のアンケートで「朝10時まで寝ていたい」と答えたことがあった。“今、一番、何をしたいか”というような質問だった。-今朝というには早すぎる深夜一時半に目覚めてしきまってい、眠りについて考えた。 シェークスピアのマクベスで、魔女に…

石のフキと書く花

黄色の花は春の代名詞とばかり思っていたが、わが家のつわぶき 石蕗の花をみて思いを新たにした。紅葉も終わった小さな庭に彩りを添えてくれている。 黄色と言えば九谷焼も素晴らしい。つい先日、焼き物展でも気持ちが温まる黄に出会った。小さな香盒だった…

あざみ、物言わざれど

忘れねばならぬ旅きて野のあざみ テレビで「あざみの歌」が流れて、冒頭の句が心に浮かんだ。俳人で女優でもあって茶道も教えた稲垣きくの作である。 あざみで思いつくことは多い。 「ハヂ・ムラート」の冒頭で、野を歩くトルストイにコザックの英雄ハヂ・ム…

見失ったインデックス 飛んで行ったコンテンツ

少し前、読売新聞主筆の渡邉恒雄による昭和の回顧番組が放送されて、楽しめた。中で渡邉は、若いころ読んだカントの有名な言葉を諳んじていた。番組とは直接関係のないシーンなのだが、驚いたのは、その言葉が書かれている箇所を、実に正確に指摘したことで…

珈琲の味なあじ

バルザックは「コーヒーを飲むと精神に号令がかかる」と、一日50~60杯のコーヒーを飲んで執筆した。 だから人間喜劇の主人公は皆、“感情の自動激化”ともいうべきキャラクターで登場する。 オイラーに次ぐ論文執筆数を誇るポール・エルデシュは、数学者を「…

迫真と現実のはざまで

黒澤明「椿三十郎」のラストの決闘シーン、初めて目にしたとき劇的なコマ運びに眼を瞠った。 三船敏郎の椿三十郎と仲代達也の室戸半兵衛が数十センチばかり離れて立ち、双方、ギラリと刀を抜いて切り掛かってと思うや鮮血が吹き上がって、一瞬で勝負は決した…

視界外の視点

マレーヴィチの「黒の正方形」は、80センチ四方の黒い正方形が中央に描かれているだけの、至ってシンプルな作品である。使われている色は、究極の色とされる黒とカンバスの白のみで、黒色の中には無数のひび割れが入っている。この画題らしい対象のない絵に…

絵筆と身体バランス   

長野とゆかりの深い石井鶴三は、相撲好きとして知られ、観るのも取るのも大好きで「相撲は絵の勉強になる」と門下と相撲を取っていた。鶴三の相撲の絵や、相撲を取っている写真も残っている。 鶴三というと「ものの形をかりてその中に線の美を立体的に構成す…

白の余韻

日本画は余白の美で映え、余白で魅せている。空白であるが、「空っぽ」ではない。 絵画の余白を思うと、ことばと沈黙との関係を想起する。ことば、とりわけ文学作品は行間の沈黙でも語っている。陰と陽のように支え、補っている。絵でも詩でも余白は、余情の…

見えない実在

今春、ギャラリー82で予定された第四回メタモルフォーシス展は、コロナの影響で一年延期となった。三年越しに準備しただけに、在任中に開催できないショックは小さくなかった。入場者は一人にするとの条件での開催も、結局容れられなかった。 メタモルフォー…

反復とリズム

同じドイツの哲学者であるが、カントは音楽嫌いで音楽が聞こえる家から引っ越したほど、ニーチェは音楽好きで、自身も作曲している。あいまいを許さない厳密な記述と、超人ツァラトゥストラの口振りに接すると、音楽の嗜好の差がそこに出ている気がする。 東…

限界ありて

数学は中学時代は得意科目、高校生になってからは敬遠科目となった。つまり幾何好きの、代数嫌いだった。 補助線好きで、それが幾何好きの理由の一つだった。余計な補助線は邪推に繋がると後でわかった。 数学に、自乗すると-1になる想像上の数字、虚数が…

宿命の円環

ボードレール「憎悪の樽」の最終段を長く理解しかねていた。疑心化された憎悪と、酔漢との境遇の違いが胸に落ちないのである。敵わぬ相手としての「酒」や、憎悪の片棒のような「復讐」も、擬人化されて登場してややこしい。岩波文庫 鈴木信太郎訳で最終段を…

no diffelntly

原書より良いと感じる翻訳に時たま出会うが、原書より映画のアテレコの方が良いというのはずっと稀だろう。その稀少と思われる例を「風と共に去りぬ」で見つけた。 スカーレットが愛のない結婚相手フランクの死に際し、慚愧の涙にくれる場面である。もう一度…

曲者同士

ボードレールの『悪の華』に載っている「時計」という詩は、時計が擬人化して「覚ておけ」と読み手に七回も発破をかける。しかも「覚ておけ」をフランス語、英語、たぶんラテン語、もう一か国語は閑長には国籍不明の言葉を並べる念の入りようである。つまり…

成りてなるところ

「鹿の角、狼の牙が自ずから形をなすが如く」 刀工山浦真雄の言であり、刀姿の理想とするところを謳った一文である。真雄が鍛えた刀は、松代藩で行われた刀の荒試しにおいて古今未曾有の成果を上げた。 四歳違いの二人兄弟で、共に鍛刀した経験もある両刀工…

孤舟の逆接

蘆花浅水 釣りをやめ、帰り来たりて船をつながず。江村、月落ちて、正に眠るにたえたり。たとい一夜、風吹き去るとも、ただ蘆花浅水(ろかせんすい)のほとりに在らん。 釣りを止めにして戻ってきたが、船を岸辺につなぐのを忘れてしまった。川辺の村に月も…

閑長の左みぎ

ブロンズ作家丸山雅秋の作品にはキャプション表示がない。タイトルを尋ねられ、すべて「存在-関係だ」と応える現場に居合わせた。丸山は、ブロンズや石膏という扱いにくい素材を使う訳を、お能の女形と装束、動作を譬えに引いて「不自由をあえて課し、本質的…

閑長の右ひだり

ムンクの「叫び」は、同名、同構図の作品五点が存在している。油彩にパステル、リトグラフ、テンペラという画法の違いのほか、背景や、遠景の船の数などの違いがあるのだが、例外なく道はどれも左上に向かっている。以前、テレビ番組で、右上に向かっている…

ねこと外延

プロテスタントの牧師北森嘉蔵は 宗教のタイプを「サル型」と「ネコ型」とに分けている。 サルは、母ザルに自力でしがみついていないと振り落とされる。信心して敬虔に身を律することが求められる。ネコは親猫が首を咥えて運ぶに任せている。本人が知らない…

閑長の出会い

「小山利枝子 若麻績敏隆二人展」、利枝子さんの絵は柔らかくしなやかで 強靭な求心性と発散力に抱き留められる感じだった。 若麻績さんの作は、静謐な存在と手堅い時間が流れる印象をもった。共通なのは優しく強いこと。芸術とは密になれる。美と密になれる…

端とすみっこ- 連動の妙

バンタム級三階級制覇の井上尚弥は、「日本ボクシング史上の最高傑作」と呼ばれ、パウンド・フォー・パウンドランキングでも日本人歴代最高の2位の評価となっている。先月末には、オーストラリアのマロニーにノックアウト勝ちして王座防衛を果たしている。 …

閑長の一度かぎりの夢

小林秀雄の「ゴルフの名人」という短篇は、全集はもちろんいくつもの文庫に載っている。四ページくらいだから直ぐに読める。ゴルフの名人と自称する男とのやりとりをまとめたものだが、いま、あらましを書こうとすると、簡単にまとめられず当惑する。全文を…

閑長、本日の出会い

モーツアルトは、作曲した曲の「音符が多すぎる」との指摘に対し、「どの音符が多いのか、言ってみて欲しい」と気色ばんだという。ポアンカレ予想を証明したロシアの数学者ペレルマンは、「証明が短すぎる。もっと詳しい説明を」という同僚の要求に、必要以…

境と異文化

長野県は八県と接していて、この数は日本最多という。他県を小さな異文化とすれば、多くの山岳や峠、川の存在が、二つの文化の境界の役割をしている。 八つの境界に接しているにもかかわらず、染まらず、染めず、それぞれ県としての独自性を保っている。その…

閑長の十六夜帳

一つ家に遊女もねたり萩と月 俳聖芭蕉の有名句。おくのほそ道」所載。新潟から富山へ抜ける関に一泊したときに詠んだ句とされる。 みすぼらしい自分とはなやかな遊女が、偶然、同宿となった。耳を済ますと話声がする。宿に咲く萩を月が照らしている。 遊女が…

屈折の味

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」は、ロミオの年上の女性ロザラインへの片思いの話から始まる。ロザラインは生涯独身を誓った身で、悲嘆にくれるロミオは気分転換で出かけた先でジュリエットに出会う。二人の悲恋の本題からは、最初から寄り道した…

同時にみえない

眼に触れない背面までも入念に制作する彫刻家がいて、ひとに「誰も見ないのでは」と指摘されると、「神が見ている」と応えたという。そんなエピソードをどこかで読んだ。ルネサンスの彫刻家だったと記憶する。神様ならば、眼に触れない背後も見れるだろうし…

閑長のお絵描き、ひと筆書き

数学に四色問題という難題があった。地図を塗るのに何色必要かという数学問題。地図だから同じ色が接してはいけない。定理にすると、「平面グラフは4彩色可能である」となるそうな。この問題、十九世紀半ばに発見され、二十世紀に入り、コンピュータの力も借…