miyukie33ok’s blog

閑長のひとり言

閑長のひとり言

ぼつ、ぼつ・・

 以前、没後50年の画家さんの展覧会を企画・開催したことがあった。死後に作品を遺したアーチィストは、死して尚、世間に訴える手立てを持っている。展覧会を準備しつつ、“ 何時また再評価されないとも限らない、画家さん、安気に眠ってはいられませんヨ ”・・不遜不敬ながらそういう心境だった。
 今また、没後40年となる画家さんの展覧会に関わっている。無頼といわれ、若くして自裁に及んだ酒豪の画家である。“ 一献やりながら見守ってください ”と、そんな心持である。

 ぼつぼつ・・、しなの的でいい言葉だ。気負いのない意思がある。

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開高健と「等伯画説」

 自己中鑑賞者の閑長は、「“しん”としている」か「騒々しい」か、を絵の判定基準としている。「“しん”としている」絵を愛好し、「騒々しい」絵は、評判が高くても敬遠している。端的に言うと好まない。“しん”は、閑かという意味だけなく深く、強い美を意識している。この見立てについては、寄す処としている二書がある。
 開高健は『ピカソはホンマに天才か』で、「“押しつけがましさがあるかないか”を唯一の鑑識眼とする」、と書いている。一応、著名な美術評論家の受け売りとして紹介しているが、ご当人の本音とみて間違いなかろう。文の人であっても、美の人とは言い難く、美食家ではあったが、美術からは縁遠く思われる作家だけに、かえって先入観や賢しらのない言葉に思え、記憶にとどめている。
 長谷川等伯が口述した『等伯画説』には「これにつけて思ふに、しずかな絵、いそがわしき絵など、心をつけて感ずべきことなり」との一節がある。閑長はこの書を『日本思想体系』で読んだのだが、その解題には、「にぎやかな絵」「一段媚びたるようにて媚びぬ絵」「ひややかなる絵」などの評語が、実例付きで紹介されていて、おおいに啓発される。
 “しん”とした絵をたくさん観たい・・
 
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 「等伯画説」はかの鉄斎も書写している(ネット収集画像)
 
  

二階・入り子構造 

 「不思議の国の信州人」という本が七つの信州人のタイプを挙げている。仰る通り信州人は地域ごとに結構異なり、人括りにできない幅を持っている。土地が南北に長く、山、谷、峠、川などで仕切られるという物理的な環境があること、それと、古くからの伝統、交流、出自などの違いを背負っていること、など、様々影響していると思う。
 七つもの性格背景には、信州文化の二階・入り子構造があると思う。「人」でいうと、信州人としての側面と、もっとコミニュティな、例えば上田人、飯田人としての貌の二つを知らず知らずにもっている。それが一人の人格の中に混ざり合わずに共存している。例えば、ズク無しの部分は共通で、プラス優柔不断であったり、俊険な性格だったり・・。
 県内各地で勤めてきた閑長の見立てである。
 もしかするとこの記事、以前にも投稿したかもしれない。

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爺ぃの時事問題

 秋篠宮真子様の婚約者小室圭氏が文書を公開し、しきりに「借金でない」と主張しているが、問題はそこではない。借用書がなく、貸した・借りたと言っていないのだから、借金ではないことは明々白々で、小室氏は安全圏で空論を並べている。
 論点は母親の元婚約者からの資金移動を今、どう整理するかなのだが、婚姻を前提とした前渡金は、婚姻したなら生活諸費用の前払いであって法律問題にはならない。婚姻しなかったのだから、“準”贈与として整理するか、はたまた過失と使い道等々によって、両者で返戻割合を決める、のいずれかである。
 ともあれ、小室氏は一方の当事者なので、都合よい言辞を並べて致し方ないが、ワイドショーのコメンテイター諸氏は、この点をしっかり整理・追及せねば、チコチャンに「ボ~と座ってんじゃねえよォ」と𠮟られまっせ。

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阿修羅とカラヴァッジョ

有名な阿修羅像、この仏様は、飽きがくる思う。興福寺の阿修羅像の復元番組をみていて、初めて気付いた。
世阿弥の顰にならえば、描き尽くせば伝え尽くす。
阿修羅様、造形が思念を追い越してはならぬのでは・・

カラヴァッジョが描く絵は、ドラマチックだがドラマでない。
明暗が描かれて必然が薄い。
劉生張りに言えば、カラヴァッジョは狙いが確かでしかも強いが、一瞬に仕舞する。
カラヴァッジョ、汝の作は汝の境涯に似たるかな・・

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 ネット収集画像

 

流れの涯

方丈記は書き出しが有名だが、終りが良い。
迷いと諦念が記されている最終段があるから、方丈記は余韻をもって完結する。

 その時、心さらに答ふることなし
 ただ、傍らに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ

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取り合せが・・

ジョニ黒とワイルドターキー
マッカランラフロイグ
夫々呑み比べて妙味がでる

ゴーギャンシスレー
泉鏡花三島由紀夫
お茶漬けと牛タン
取り合わせてこそ・・

マズイ、まだ昨夜の七面鳥が残っている

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